「ゼロの夏」


『ゼロの夏』   投稿者:だ   投稿日:2001/01/19(金)00時17分11秒   ■   ★ 

                      『ゼロの夏』
      「1.光の王」

         英利は時節はずれに雪焼けした顔で(しかしそんなことは誰にもわかるまいが)真夏の街の
      うだるような暑さの中に帰ってきた。冷房の効いた船内から一歩外に踏み出すと、あまりの焦熱
      に顔をしかめるように歪んだ街並みの中を人々が揺らぎ歩く様が目にとまった。陽炎が立ってい
      たのだろうか。或いは、長い航海に耐えた船乗りを迎えるにはいささか冷淡な港の作法、陸酔い
      というやつが、一時の船客でしかない英利にも起こったのかもしれない。
       眼前に立ちふさがる高層ビルのアルミ壁が、七月の強烈な陽射しに映じて、判じきれぬほどの
      メッセージを一時に英利の脳髄に送りつけてきた。ポートセンター屋上の巨大なパラボラアンテ
      ナ群が、空に向かって幾筋かの光の束を送り返している。大気を泡立たせ、己の内のリズムにの
      み従って激しく振動しながら、解き放たれた光の粒子が虚空に向かって登りつめていく様が、彼
      の目にははっきりと見えるようだった。
       タラップを降りる少年の右手に母親の左手。新婚旅行のおそろいのサマ−セーターに、屈託の
      無い笑い声。通りを行く自転車の背中に、翻る明色。それら全てがオーラのように眩い光の鎧を
      身にまとっていた。意識の臨界を超えてむせ返るほどの光の海。まるで全世界が、時季と場所を
      誤って訪れた光の王の洗礼を受けて、その、場違いに祝福された姿で生命の栄華を開花させたか
      のようだった。・・・だが、磨けども磨けども透明にならない何処までも半透明の結石が、英利
      の内にはわだかまっているのだが・・・
       船着場に待機していた鼓笛隊が煌くブラスを一斉に振りかざし、歓迎のセレモニーの幕が切っ
      て落とされた。英利たちは、中国から一時帰国する残留孤児たちと同じ便に乗っていたのだ。
      どこかで聞いたような曲だった。英利はこの曲を知っている。何と言う曲だったか?
      樂の音に乗って、静止していた時が流れ始め、白日に打ち上げられた花火が青空に白く移ろう
      一過性の旗を掲げる。
      「これは俺のどんな記念日?
      風が、彼らの髪を梳いて行った。光が、英利の頭蓋を梳いて行った。
       そして全世界が、激しく混乱した、しかし奇妙に透き通ったひとつのめくるめく暗号となって
      英利の内部に殺到してきた。--懐かしい風景--と言う言葉が意味も無く英利の内に沸き起こり、
      胸につかえるしこりを押し出そうとする。そして--投じるなら今だ--という想いが、大洋の岸辺
      無き流れの中に浮き沈みするブイのように、彼の意識を繋ぎとめた。
      「何を何処に投じるというのか?
      投じるものなど何もなかった。
      「いつ何処で見てきた光景だというのか?
      思い当たることは何もなかった。そして英利は、鼓笛隊の奏でる樂の音の、その馬鹿げた曲名を
      思い出した。
      『失われた牧歌』
       人は自分のものでもないものを、予め在りもしないものを失うことなどできるのだろうか?
      英利は何も知らなかった。この世界について英利は何も知らされてはいなかった。ただ、無と無
      の間にかかる半透明のチューブ、一本の薄暗い軌道の中に、気付いた時には投げ出されていたの
      だ。
      「ついぞ変わらぬ見知らぬ世界!
       激しい怒りの発作の中で、大道を埋め尽くすビルの群れがオーブンに突っ込んだチーズのよう
      に融け始め、その輪郭を失った窓枠からはじき出されたガラスの破片が、まるで常夏の島に100年
      ぶりに降ったボタン雪のようにスローモーションで英利の上に降り注いでくる・・・。
        *
       人はきっと在りもしないものを失うことができるのだ。
       危うく体の平衡を失いそうになりながら、英利は一目散に電車の待つホームへと駆け下りた。
        *
       山から下りた直後に軽い放心状態に陥るのいつものことだが、今回のそれは少し程度が違って
      いた。英利たちが挑んだ未踏峰は、かつて誰も越えることが出来なかったその山の核心部と目さ
      れる巨大な壁を抜け、既に頂上を手中にしたも同然の彼らを退けて、結局何者にも明かすことの
      なかったその頂の下に、死んだ仲間の亡霊を捕縛したまま、今も無言であの場所に佇んでいるの
      だから。
       いつもなら、極地の清冽な光景の中から戻ったこの街に、英利はひどい違和感を覚えたはずだ。
      そして雑踏の中で命と生活の匂いにむせ返り、悪態などつきながらしだいに自身を回復して行く
      のだが、今、彼の虚脱感は深まっていくばかりだった。満員電車の中でひしめき合い、体中から
      無様に汗を垂れ流し続ける人々の一員になっていることに少しも不快を感じず、先ほどから英利
      の巨大なザックにあつかましくも体重を預け続ける中年女の饐えた化粧の匂いの中に意識を絡
      めとられたまま、ただ、宙に浮いたように茫漠と頼りない自身の肉体を感じていた。
       電車が停止し、動き出す人々の流れに従い改札を抜け、薄暗い階段を登りつめた英利の目に、
      唐突に、再び夏の陽射しが飛び込んできた。過飽和な程の光の中で、空の色は白く抜けている。
      その白色の中心に、さらに白く輝く一点が在った。
      「一体俺は何を求めてあの山の頂に立とうとしたのだったか。

      一瞬の放心の後、閉じられた英利の網膜には光の球が刻印されていた。


      #既知外じみた長文再開します。よって、また暫く詩は書きません。起承転結何も考えずに始め
      るので完結するかどうか解りません。また、頻繁にアプすることは出来ないでしょう。個人版や、
      既知外専用版だと思われると困るので、常連の皆さんたちには今までどおり投稿していただきた
      いです。つーか、そもそもここは個人版じゃないし、俺の臭い抒情詩や既知外じみた戯言からO
      KCさんの現代詩やルイルイの鬼畜詩、カメレオンのようにいろんな詩を書く正体不明の「ね」、
      「て」のやわらかく優しい言葉、その他沢山のいろんな言葉や想いが渾然としているところがこ
      この良いところだと思うので今後とも宜しく。


『ゼロの夏』   投稿者:だ   投稿日:2001/01/23(火)23時16分01秒   ■   ★ 

      「2.壁にて(黄金色の少女)」

      炎天下の水道橋の上に立ち、暑気払いには効きそうもない鈍重に淀んだ水の流れを眺めた後、
      堤防裏の小路をたどり赤錆の浮いた階段を上がると、三月ぶりに帰る英利の部屋は、やはり以前
      と変わらぬ空疎な様で、路地裏の壁の中の無数の染みのひとつのようにひっそりと閉ざされたド
      アを開くと、日の光の背後で裏焼きされたようなよそよそしい室内が音もなく英利の前に立ち現
      れた。暫時の間を置き薄闇に目がなれると、郵便受けから投じられた幾つかの通知に混じって白
      い封書が玄関口で埃をかぶっている。荷をおろし、靴を脱ぎ、先ずは手紙の封を切ると、それは
      母の死を知らせる叔母からの手紙だった。英利が大陸にいる間に葬儀を済ませたこと、叔母は持
      病を持つ心臓を一時悪化させ入院したこと、そして、国に帰って定職に就き、亡くなった父母を
      安心させてやれという懇願がその後に続いた。
       閉ざされたカーテンの隙間から漏れいる光が、緩慢な動きを示す一筋の塵の帯となって白い紙
      の上の文字と英利の体を照射している。それは慣れ親しんだ雪景色をではなく、プランクトンの
      浮く海中を、いや、ガラスの水槽をイメージさせた。きわどく透き通った者たちが、ぬるんだ水
      の明るみの中を漂っている。
       英利は部屋の窓を開け放し、何もない自分の部屋を見渡し、そして幾分埃っぽくなってはいる
      が慣れ親しんだこの部屋の無機質な匂いを確かめると、幾分実在感を取り戻した。最後の家族の
      死を悼む気持ちは湧いてこなかった。ただ、感じることの何もないことだけを感じた。
      「ふふ、ママンが死んだのなら、ひと泳ぎしに海へ行かねばならないな。
      「でんこちゃんクスクスクス・・・」耳の奥で何者かが笑った。(注)
        *
       帰国後のしばらくは、遠征の後始末で忙しい日々が続き、好きなように放心しているという訳
      にもいかなかった。遺族や支援者への挨拶、弁明、マスコミへの対応などで人前で上手く振舞う
      ことを得意としない英利を消耗させた。
       あそこであったことは、誰の力でもどうにもならないことだったと英利は思っている。
      頂上直下の広大な雪原[風のプラト―]に作られていた第4キャンプから、第一次アタック隊の
      3人は忽然と姿を消した。
       頂上に700mほどの高度差を残して北西に延び広がる標高7000m前後の長大で幅広のこの稜
      線は、技術的には何の問題もない場所だったが、全ての生きるものを拒絶する過酷な高度と、絶
      えず遮る物のない強風にさらされての行動を強いられ、楽な行程ではなかった。しかしアタック
      隊はじゅうぶん高度順応していたし、アタックを翌日に控えた第4キャンプはちょっとした岩影
      に守られた無風地帯にあり、またその日はこの上ない上天気であった。彼らがいた場所には問題
      となるようなことは何ひとつ起こり得ないはずだったのだ。
       だが突然一筋の雪煙が立ち昇り夕映えの空に消えていくのが目撃された後、彼らとの連絡は途
      絶えた。谷底の氷河上にあるベースキャンプでも、英利がいた第3キャンプでも、夜どうし無線
      機を開けていたが、英利たちの問いに答える声が聞かれることは終になかった。
       翌日すぐにそのプラト―まで上がろうとした英利たちは、予期せぬ悪天に襲われ、プラト―へ
      至る壁に宙吊りになったまま、下から吹き上げる吹雪と上から襲う流雪の中で身動きがとれなく
      なり、空手ではあったが下山できたのは奇跡だった。既にボルトが打たれ、登路が開かれていた
      とはいえ、かつて多くの挑戦者たちを死に至らしめた悪名高き死の壁の中で、烈風に煽られ、全
      身に打ち付ける氷片に晒されながら、英利は意識の脈絡を失っていった。
       白い画布の中を行き来する暗い影。天地の狭間に伸び上がった一本の巨大な棒杭が、両の末端
      を奇妙に捻じ曲げて己が在りかを白い咆哮の中に畳み込み、何処までもあてどないその道筋の途
      上で上げられる行き暮れた叫び声、内に木霊する呟き。そして白い空洞が、感覚を失った皮膚の
      内と外に、晶洞の内部に結晶する方解石のように、氷の薄膜を発振させていった。
       今思い返しても、何故、どのようにして彼らが消えたのか、どうして自分たちが生き長らえ得
      たのか英利にはわからない。途切れがちの記憶をたどり、共に行動した者たちの記憶を拾い集め
      ても、あの時自分たちがどのようにして下山したのかを定かに思い描ける者はひとりもいなかっ
      た。
       ただ、白い嵐を引き裂いて顕れた金色に輝く夏服の少女の映像だけが鮮明に甦る。彼女は言っ
      た。
      「わたしは偏在する者、じっと見つめる者、ただえいえんに存在し続ける者。わたしは寂しい、
      こちらへおいで。
       彼女はどこかで見たような淀んだ街の坂道の上で、風に髪とピンクのワンピースをゆったりと
      そよがせながら、優しい目をして微笑んでいた。空が朝の光に微かに白み始める前、原子炉の炉
      心を妖しく照らすチェレンコフ光のように美しい青い光の中で、彼女の姿は黄金色に輝いている。
      「俺はまだそこまで行くことは出来ない、俺にはやらなければ成らないことがあるんだ。
      「あなたにはもうやらなきゃならないことなんて何もないわ。あなたはあなたの選んだ幻想の中
      にいるだけ、早く開かれた世界にいらっしゃい。皆もこっちへきたのよ、楽になれるわ。
      「幻想の中だって?あんたは一体何者なんだ?開かれた世界って何?俺は仲間を助けなくちゃな
      らない。まだ死ぬわけにはいかないんだ。
       一瞬悲しそうな表情を浮かべた彼女は、すぐにまた柔らかいアルカイックスマイルを取り戻し、
      吹雪の中に消えていった。
        *
       三日後、凍傷を負ってベースキャンプに降りざるを得なくなった英利たちに代わって晴れ渡る
      雪原に立った者たちは、一面の雪野原の中に、一片の痕跡すらも見つけることは出来なかった。
      その後山は二つ球低気圧に閉ざされ、英利たちのエクスペディションは失敗に終わった。

      つづく
      (注)でんこちゃんクスクスクスの使用許可はジコマンより得ています。
      ジコマン『声神様』(今ぁ界で一番イカス電波系小説)
      http://members.tripod.com/~strange-walker/zikoman.htm
      (まだ未完。現在Remix「ジコマン」で進行中。)


  投稿者:だ   投稿日:2001/01/25(木)18時24分10秒   ■   ★ 

      「3.影」

       極地では全てが純粋で単純だ。ただそこに突っ立っているだけの一秒一秒が紛れも無く死への
      道筋である高山にあっては、英利は純粋で単純な自身の形姿を得ることが出来た。何者かに向け
      て開かれた空の器、頂上との交感のみを銘記された一体のアンドロイドのような者として。あそ
      こではいつも無心でいられたと彼は思う。そんなことを考えるのも山を下りてからの話だが、厳
      しい登攀の道すがら、英利は己にまつわるあらゆる狂雑な観念を消去し、限りなく透明に近い存
      在になっていたのだと思う。だがこの街は様々な色彩で容赦なく英利を塗り込め、あの交感を幻
      影にしてしまうのだ。
       彼はルサンチマン丸出しで世界を激しく憎悪していた。
        *
       帰国後の雑事に一段落がつくと、英利は終日無為に過ごすようになった。体が重く、何をする
      気にもならない。幾分風邪気があるような気もするが、山の疲れが出たのだろうか。
       クーラーの無い部屋はサウナのように体中の水分を奪い、自分の皮膚と内臓の感覚の中に沈没
      したまま、英利は数日を自堕落にやり過ごしてしまった。
       その朝、開け放たれた窓から見やる山並みは、前夜の雨に洗われて美しいモルゲンロートの光
      の中に鋭利な稜線を際立たせていた。正午には、頂にかかる傘雲が少しずつ南からの柔らかい風
      に押し出され、ちぎれ離れていく様を眺めた。
       そして遅い午後、白昼夢から目覚め、実際のところ向かいのビルの壁しか見えない窓からうっ
      そりと目を放した英利は、殺風景な部屋の中を見渡しながら、己の視界の変調に気付いた。まる
      で陽炎でも立っているかのように部屋の壁が歪んで見える。始めは何かの錯覚かと思ったが、陽
      炎でも気のせいでもなく、すぐに自分の目、若しくは脳に問題があるのだということに気付いた。
      右目をつむり左目だけを見開くと、視界の中心にうっすらと丸い影がある。何か不可解な事態が
      英利の身の上に起こりつつあった。
        *
       その夜も、英利はいつもの悪夢にうなされた。彼はひとり吹雪の雪原に立っている。天と地の
      境はおろか、差し伸べた自身の手すら定かには見えないほどホワイトアウトした雪野原の中で、
      腰まで深雪に埋まりながら、英利は一心に雪を掻き分けていた。雪、雪、雪、どんなにあがいて
      も雪より他に出てくるものは他に無い。何かだいじな物をこの雪野原の中でなくしたはずだった。
      だが何を探しているのか、雪を掻き分け続けるこの手の動きにどんな意味があったのか、彼はと
      うに忘れていた。ただ執拗に積み重ねられる、無意味な反復も次第に力を失い間歇的になり、い
      つしか切れかけた蛍光灯のように痙攣的な動きを時たま見せるだけになり、終には何もかも真っ
      白な雪の中に飲み込まれて消えてしまった。
       そして青い静寂の中に、再び桃色のワンピースの少女が現れる。
      「あんたは本当に存在しているの?存在していると思い込んでいるだけじゃなくて?

       翌朝、鏡の前で今朝の不快な夢を反復しながら英利は思った。
      「俺もまだまだ修行が足りないな。満面に皮肉な笑みを湛えつつ目覚めるくらいにならなきゃ」
      と。
       一夜が明けても相変わらず左眼にはうっすらと影が差し、世界は奇妙に歪んでいた。
      ひとり住まいのぼろアパート、洗面台の鏡の前で自らにウインクする己の姿に苦笑しながら、英
      利はそのとき、自身の内で何かが終わろうとしていることに気付いた。
      これから起こることは、宇宙の熱死のように静かな物語だったか?
      或いは、精神病院へ至る壮大な脳内オデッセイだったか?
      フフ、どちらでもいさ、おんなじことだ。

      つづく
      #> >つまんないね。 同人レベル以下の文章を公開してどうする気なんだろう?
      > >もしかして作家とかになりたいのかな。
      >漏れもそう思うよ。よくいる作家志望の文学部生とかだろ。
      >自分で勝手に満更でもないと思いこむには酷すぎるな…
      >こんなオナニーみたいな文章見せつけて俺達の気分を害するつもりなんだろ(;´Д`)

      貴殿らは何か勘違いをしておるようですが、わたくしは文学部生などではありません。
      引き篭もりの女子中学生です。あなたが来るとイカ臭い匂いがするのですぐにわかりま
      す。貴殿の何ヶ月も洗っていない痴垢まみれのワイルドなチムポを想うと激しく濡れて
      しまいます。抱いて下さい。ウフ('-'*)


ゼロの夏   投稿者:だ   投稿日:2001/01/29(月)21時50分11秒   ■   ★ 

      「4.幻覚」

       英利は異界への入り口をまたぎつつあった。何やら得体の知れない激しい不安感に襲われ、ま
      ぎらわす為に連日のように飲んだくれて歩いた。いつも何者かに監視されているような気がして
      心休まる時が無い。最近は受話器を取るといつも微かに雑音が混じり、時には雑音の背後に「誰
      かと話しているつもり?存在しているつもり?下らない。馬鹿じゃないの?」という何者かの声
      がはっきりと聞こえることもあった。
       あの女だ。あの女が盗聴しているのだ。しかし実在するはずの無い者に己の存在を妄想呼ばわ
      りされるとは何たることか?英利はもともと既知外なので一過性の被害妄想など精神力でシャ
      ットアウトする術を心得ているのだが、今回の発狂は単なる妄想幻覚の類ではないような気がし
      て、いつものように病識を持って自身から切り離してしまうことが出来なかった。
        *
       合同慰霊祭の済んだ日曜の午後、ここ数年ザイルを組んでいるKのやんごとなき事情に付き合
      う形で夜の街にくりだした。若いKは今回の惨憺たる結果に終わった山行に懲りることも無く、
      あの山への弔い合戦のみならず、様々のエクスペディションについて嬉々として語った。
      英利だってつい最近までそんな風だったのだ。未来は自分の前に広がっており、彼の可能性は
      まだ試し尽くされてはいなかった。そして何より山が英利を読んでいたのだ。だから英利は、古
      い友人たちがネクタイを締め、妻子を得、彼らとの付き合いが疎遠になっていくことに気付いて
      も、躊躇することなくヒマラヤ極道の道を歩み続けてきた。遠征のたびに転職し、夏の日の暑い
      さなかに身体を使うきつい仕事をし、高層ビルの窓にも張り付いた。クーラーの効いたガラスの
      向こう側の生活がどんなふうか、忙しげに立ち働くサラリーマンたちの目に英利がどんなふうに
      映っているか、そんなことも、いつしか彼にはまるで無関係な風景になっていった。
      山無しの生活など考えることも出来なかった。山にいるか、さもなくば次の山行計画を練り、
      準備しているかのどちらかだ。山の外には何も無かった。だが今、Kの話に耳を傾けながら、英
      利は自身の内にとどめようもなく醒めていくものを感じていた。死者を出した山が、暗い壁とな
      って英利の前に立ちふさがっているから?いや、問題は、自身の内にもはやその壁を越えようと
      いう意欲を湧かせるものがないということに英利が気付いているというところにこそあるのだ。
       *
      地下鉄で市心へ向かい、女のケツを見ながら冥府の川のように溢れかえった人々が流れる地下
      街を抜け、幾つかの本屋の棚の間を通ると、じきに飲み屋の開く時刻になる。蒸し暑い夕方の歓
      楽街は既に多くの人々を飲み込みながら、しかし未だぱっとしない醒めた電飾で夕暮れの陽の光
      を吸い込んでいた。
      街の辻々にカメラが設置されており、英利の行動を監視している気配があった。空を見上げる
      と交錯する無数の電線が低く唸り、その背後に輻輳する沢山の声がある。山で死んだ男たち、多
      くの見知らぬ物どもの声、その多くは英利を非難する声であった。全世界が英利の憎悪の見返り
      に、彼を世界の外に放逐しようとしているのか?また、英利の視界の外には常に桃色のワンピー
      スの気配があった。一度、素早く振り向いてあの女の姿を捉え、全速力で追ってみたのだが、中
      学生にしか見えない彼女は健脚な英利を遥かに上回る速度で遠ざかり、すぐに視界の外に消えて
      しまった。遠ざかる彼女のワンピースはいつもより赤味が増して見えた。赤方偏移という奴か?
       *
       幾つかの角を曲がり霧の立ち始めた路地を行くと、河川敷に近いこの区域のはずれにその店は
      ある。まだあまり客のいない店内で、英利たちは隅のテーブルにつきマスターにボトルを出して
      もらった。がらんとした店内に煙草の煙が漂い、客が語らう途切れがちの声の合間にロックの白
      色の旋律が流れている。ロバートワイヤットのロックボトム。真夏の夜のけだるい酔いの中で、
      白漆喰の壁に囲まれてその曲を聴きながら、英利は海水浴シーズンを過ぎて疲れの見える晩夏の
      鈍色の浜辺をイメージした。
       人気のない浜辺にあの桃色のワンピースを着た少女が佇んでいる。頭上には音もなく輪舞する
      カモメの群れ。薄曇の空と灰色の海はその境を明示せず、ただぼんやりと互いに照らしあってい
      る。浜辺には流木がひとつ。寄せてくる波は、力なく浜辺の白砂の中に吸い込まれて消えていっ
      た。癒しがたい空無に蝕まれた脳髄を光と風が梳いて行く。空っぽの風景、空っぽの心。
       小さな痩せた少女は海のさなかに突き出した防波堤の上を歩いていく。びょうびょう流れる風
      に髪とスカートの裾をなびかせながらゆっくりと進むその姿は、孤独な異郷の神像のようでもあ
      り、或いは一本の立ち枯れた木のようにも見えて、ふと立ち止まると、雲の割れ間から差し込ん
      だ光の柱に照らされて光り輝く彼女のおでこ。一瞬目が合うと、彼女はゆったりと夏色の目で微
      笑んで、どぎまぎした英利がちょっと目を放したすきに防波堤の向こうに消えてしまった。
       後には白い光の降る誰もいない世界だけが残されて、海も砂浜も空も、時間の外に化石したよ
      うに凍りついていた。
        *
       数人の馴染みと言葉を交わし、いや、彼らは何も話さなかった。時の経過と共に閑散としてい
      た店内も人で満ち始め、場末の酒場の幾分怠惰な喧騒が英利には心地良い。やがて彼らのテーブ
      ルにも二人の女が相席した。彼女らは春を売る娘だ。英利はその「春を売る」という言葉を頭の中
      で転がしてみる。春を売る、春をうる、はるをうるはるをうるはるを・・・
       彼女らと英利はふたことみこと言葉を交わし、その後一瞬沈黙が訪れる。だがまた周囲の喧騒
      に押されるように彼らは言葉を交わし始める。いや、彼らは何も話さなかった。語り合う人々の
      声が一層高まったとき、英利は彼女らに尋ねてみた。
      「ところで君らはここで何をしているのかな?」と
      英利の言葉の中の何かを面白がって、彼女らはとめどなく笑った。彼女らの笑い声や、周囲の酔
      客たちの言葉が何重にも折り重なって、アルコールの回り始めた英利の頭に染み込んでくる。英
      利はテーブルに手をつき眩暈が収まるのを待たねばならなかった。

      つづく


ゼロの夏   投稿者:だ   投稿日:2001/02/02(金)21時58分13秒   ■   ★ 

      「5.黒い瞳」

       目覚めると、英利はひとりカウンターに突っ伏して酔いつぶれていた。そろそろ客もばらけ始
      め、怠惰な酒気の余韻が漂う深夜のカウンターに頬杖をつくと、ジーパンの膝頭に開いた穴が今
      朝よりも広がっていた。上空を行くジェット機が街の片隅のこの小さな酒場にも旅立ちの名残に
      大気の振動を伝えていく。英利の後ろで男がひとり、小さなため息をつく。どこかで、引き潮を
      呼び戻そうとでもするかのように力ない歓声が上がる。そして英利の脳裏に幻影のカモメたちが
      甦り、頭上を音も無く輪舞し始めた。
       がらんとした店内で、皆がそれぞれの夜の中に引き篭もろうとしていた。
      Kと女たちの姿も既に消えており、店内を見回してみると奇妙なよそよそしさを感じた。ここ
      は都道りの「ロック&ブルースさとり」、数年来通っている馴染みのバーであることは間違いない
      のだが、何故か見知らぬ店であるような気がするのだ。眼前のボトルにも見覚えが無かった。い
      かにもいつもここに入れている安酒であり、ラベルには英利のサインがある。にも関わらず彼は
      そのサインを見覚えの無い物のように感じ、また、明らかにさとりのマスターであり、長い付き
      合いである男の顔を見ても何故か見知らぬ者であるような気がするのだ。
       空が白み始めてきた頃、マスターが問い掛けてきた。
      「お客さん初めてだよねぇ。何してる人?」
      混乱にとどめを刺された英利はいささかうろたえ、グラスの中身を撒かしてしまった。マスター
      が出してくれた布巾でカウンターを拭きながら、落ち着いて状況を認識しようと試みる。何か意
      識を混濁させる事態が生じているのだ。時制が乱れ、自己同一性が保てなくなっているのは何故
      か?脳の海馬に衰弱が見られるのであれば、ダメージを与えているホルモンの分泌を抑えるため
      精神病院に出向いてSSRIの処方でも受けねばなるまい。などと考えてみても一向に動揺は収
      まらなかった。狂気が非存在の衣をまとって触れてきたのだ。
        *
       妄念から我にかえると、隣の席に座り英利の顔をまじまじと見つめる少女の姿があった。再び
      時間が止まったように凍てついたモノクロームの店内で、彼女の姿だけが陽の光に照らされた鮮
      やかな桜草の草原のように光り輝いている。彼女の口が無声映画の俳優のようにパクパク動き始
      める。しかし英利の耳は何も聞き取っていなかった。言葉は耳からではなく直接脳に送られてき
      た。穏やかな視線とは裏腹に、彼女はまた恐ろしい言葉を投げかけてくる。
      「ねえ、あなたは存在しているつもりみたいだけど、あなたなんてホントは何処にもいやしない
      のよ。あなたはとっくの昔に死んじゃったのよ。いいえ、あなたなんてホントは一度だって存在
      したことなんて無いんだわ。いつまでそうやって存在しているつもりでいるつもりなの?いい加
      減真実を認識しなさいよ。せっかく教えに来てあげているのにいつまで待たせるつもり?あなた
      のいる席は空席、あなたのアパートは廃屋、あなたの記憶は妄想、誰の目にもあなたの姿は映ら
      ない、誰の耳にもあなたの声は届かない、誰もあなたの事なんて知らないんだわ。だってあなた
      は存在していないんだから。」
      「黙れ、何をわけの解らないことを言っているんだ。存在しないのはおまえのほうだろ、おまえ
      なんて妄想だ、幻覚だ、俺に付きまとうのはやめろ!だいたい中学生がバーなんかで何してるん
      だ。とっとと消えて無くなれ!」
       例の不思議なアルカイックスマイルを浮かべた少女はゆっくりと身をかがめ、すぐ目と鼻の先
      まで近づいて黒い瞳で英利を見上げた。彼女の目を見つめ返すとそこには何も映っていない。た
      だ真っ黒な虚無が映じていた。
       恐怖に駆られ、金も払わず慌てて店を飛び出した英利の目に朝陽が痛いように突き刺さった。
      それでも気にせず太陽を見つめ返すと、激しく燃える炎の球体の中に黒い影がある。影が英利の
      脳髄に語りかけてきた。
      「そうさ、ここから無が放出されているんだ。世界の終わりにはお前だけじゃなく皆が気付くぜ、
      もうすぐだ、精神病院で待ってろや。」
       朝の光に照らされて、街は真っ赤に燃えている。いや、英利の目には燃え盛る炎が映じていた。
      地獄の劫火に焼かれた巨大な街が、炎の舌で英利を舐める。黒い太陽の下、街の辻々で既知外が
      叫んでいる。
      「キヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア・・・・
      英利も共に叫んでいた。
      「フゴゥ!フゴゥ!グルグルゴロゴロ、キヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアア・・・・

      つづく


ゼロの夏   投稿者:だ   投稿日:2001/02/11(日)20時55分49秒   ■   ★ 

      「6.丘の上で」

       億年の歳月を経て、地球は終焉の時を迎えようとしていた。赤く肥大した太陽が天空に転がり、
      焦土と化した乾ききった世界。かつて都市と呼ばれていた遺跡のあちらこちらに、穴に篭った既
      知外やハードゲイ等一群のぁゃιぃ連中が前立腺を愛撫しながらわずかに生き残っているだけ。
      もうすぐ地球は太陽の腹の中に飲み込まれてしまうのだ。
      炎上する通りを抜けようと走りだした英利にひとりのドキュソなキチガイが醜いルサンチマ
      ンと痴呆丸出しの自作自演で粘着に絡んできた。
      「ラリーホ!大東亜共栄圏万歳!あなたはアンドロメダに住まう神アンドロ天皇カカリヤ様の
      戦士たることを何故拒みますかあ?南京虫大虐殺も従軍慰安夫も全て神国日本の為でしたが何
      かあ?」
      億年を経ても変わることのなかった劣性遺伝だ。
      「貴殿は先ず自分自身の存在が妄想だということを認識したほうが良いな。」
      そう言い残しかまわず地下道に潜り込もうとする英利に「ヽ(`Д´)ノぐおぅらぁぐおぅらぁ」と
      全身タイツを身にまとい激しく股間を奮い立たせた痴呆がつかみかかってくる。薄弱者をいたぶ
      るような趣味はないのだが、そのあまりに強烈な口臭に驚愕した英利は思わず彼を突き飛ばして
      しまった。豆腐の角に頭をぶつけて失神した阿呆に小便をかけながら英利はほくそえむ。
      「ふふ、もうすぐだ、もうすぐおまえも目が醒めるさ。世界なんてとっくに滅びているんだよ。」
        *
       地下鉄の軌道をたどるため地下道を最下層まで降りようとする英利に、再び少女が語りかけ
      てきた。
      「勘違いしないで、非存在に気付けといったのは虚無を演じろってことじゃないの。あんたの精
      神はもう世界に開かれているはずよ、さぁ、心を開いて感じなさい。」
      ヘッドランプの明かりを消すと、ほんのりと青い蛍光色をまとった英利と桃色のワンピースの少
      女の何千本ものボーグが視界の果てまで地下道を埋め尽くしている。
      「しつこい奴だな。今日はいつにもまして下らんぞ。」
      何千体もの人形たちが一斉に口を開いて英利の脳に信号を送ってきた。
      「あんたの精神は地球の固有振動とシンクロしているのよ。世界はあんたの脳そのものなのよ。
      集合的無意識の底からあんたの脳に浮かび上がった表象が世界そのものってわけ。」
      「随分安っぽい世界だな、共同妄想などお断りだ。開かれた世界だの集合的無意識だのとダウン
      な戯言も大概にしろよ。ここに居るのは自我漏洩症気味の既痴外、真実は存在の光り輝く無のお
      もてだけだ。」
       一個の実存者たる既痴外の英利は奇声を発しながら金属バッドを振り回し、地下道を埋める人
      形たちの首を次々と叩き折りながら闇の底へと下っていった。英利の通った後には、燃える世界
      よりもさらに激しく空虚な顔をした何者かが、赤い血濡れの衣をまとって横たわっている。死の
      ざらざらした肌触りが、英利に何事かを思い出させようとしていた。遠い昔、約束の花束が干乾
      びたところ、虚無の本体のあるところを。
        *
       地下道を出、砂塵舞う坂道を登りつめると、かつて英利のアパートであった廃屋がある。丘の
      上へと至る道すがら、周囲の廃ビルに入り込んでみたが、何処にも人のいる気配はなかった。丘
      の中腹で振り返りそっと呼んでみると、沈黙が、宇宙の果ての深い森の奥で戯れている決して存
      在することのなかった子供たちの哄笑のように、さわさわと木霊する。世界はプラネタリュウム
      に映し出された星空の向こうのようにがらんどうで、ただ欠如だけが己を示していた。地平戦ま
      で続く死都のあちらこちらに狼煙のように立ち昇る煙があり、それは何か識域下に送られたメッ
      セイジ、形而上的な暗号のようにも見えて、読解できない預言、決して到来することのない予兆
      が満ち潮のように英利の脳髄を浸食していった。今にも臨界を超えて何者かが触れてきそうな気
      配がするのだが、じりじりと待ち続ける英利の内には、識域を超えて立ち昇ってくる物は何もな
      かった。ただ予感だけ、それ以上でも以下でもない何者かに英利は照らしだされ、かつてナガサ
      キやヒロシマに舞い降りた光の王に祝福を受けた幸福者のように、路上に自身の影を焼き付けて
      いた。
       先へ進もうと丘の頂のほうへ向き直ると、夕日を浴びて薔薇色に輝く少女の姿があった。風が
      彼女の髪を梳いて行く。ワンピースの裾がはたはたと翻る。いつもより満ち足りた笑みを浮かべ
      た彼女はもう何も語りかけては来ない。ただ、いつまでも眼下の世界を不思議な笑みを浮かべ
      て眺めていた。
      「君はずっとそうして空っぽの誰も居ない世界を眺めてきたのか?淋しくはないのかい?開かれ
      た世界って何のことだったの?」
      問いには答えず、暫時の間を置き、少女は英利を見つめてこう言った。
      「ねえ、世界って美しいわ。」
      見下ろすと、今まさに沈まんとする太陽に照らされたガラスの街が、7色のセロファンの炎を身
      にまとい激しく炎上している。英利も少女も薔薇色の大気の中で黄金色のオーラを身にまとって
      いる。地平線の上に転がった巨大な太陽は柘榴石のように煌いて、見知らぬ、しかし何故か懐か
      しい別の世界への扉のように英利たちを誘っていた。

      つづく


ゼロの夏   投稿者:だ   投稿日:2001/02/18(日)21時26分41秒   ■   ★ 

      「7.流星雨」

       めくるめく光の海の中、英利は少女の姿を求めて彷徨っていた。太陽は天頂近くに静止し、永遠
      の白昼が化石している。焦熱に焼かれた脳が真っ白になっていくのがわかる。
      エポケー。存在者の存在についての判断を強制的に停止させられてしまったのか?或いは、ど
      れだけ歩いても代わり映えのしないコンクリートの海が広がる様は、彼女が言ったように英利の
      脳内風景そのもののようでもある。ただし順序は逆で、世界が英利の内部を形作っているのだが。
      廃都からはみごとなまでに人の気配というものが消えており、あたかも億年の彼方からこのまま
      の姿であった、或いは最初から廃都として建設されでもしたかのようだ。奇妙な話ではある。何
      を記念してこの巨大な廃星が作られたというのか?
       刺すような陽光を避けようとドーム状のコンクリート塊の中に入り込むと、天上がステンドグ
      ラスになっており、円形の空間は眩いばかりの色彩で彩られている。英利が足を踏み入れると塵
      埃が舞い立ち、無限を模した7色のホログラムが形成された。ステンドグラスはチベット仏教の
      宇宙を現す曼荼羅のようであり、ドームの中心に立ち呆然と色彩の狂宴に見入っていた彼は、突
      然足場を失い宙に浮いたような恐怖を覚えた。絶対的な拒絶を示す悪無限のなかに放擲されたよ
      うに、己がたった一人で世界に対峙している事実を認識したのだ。背筋に冷たいものが走り、慌
      てて街路に飛び出した英利は、再び半狂乱で少女の姿を求め走り出した。
        *
       いつまで走っても、どの角を曲がっても全く代わり映えのしない光景が続き、英利はすぐに自
      分がいる場所の見当がつかなくなってしまった。イブ・タンギーの絵のように地平線まで埋め尽
      くす広大な遺跡の中で、或いは己の脳の中で、彼は完全に自身を見失ってしまったのだ。片道4車
      線の巨大な立体交差の上で叫んでみると、沈黙が恐怖と共に響き渡った。世界が拒絶の身振りで
      英利に答えたのか?凍りついたように立ちすくむ彼の上に、晴天の空から川柳の種子のような白
      い綿毛がしずしずと舞い降りてくる。とてつもない密度で、古いスローモーションの映像のよう
      に降り積もるその柔らかな気配が、静かに彼の心を落ち着かせてくれた。ふいに引かれ者の小唄
      が口をついて出る。
      「降れよ、積もれよ、天使の綿毛、真っ白に、真っ白に世界を染めろや・・・」
      核分裂のように完璧に美しい何者かが到来しそうな予感が世界を満たしていた。
        *
       走り疲れ、赤く腫れ上がった肌を冷やそうと再び路傍の廃屋に入り込むと、薄闇がそっと英利
      の脳をなでてくれた。日が落ちるまでここで待ったほうが良いだろう。一息ついて通りを眺める
      と、ここは塹壕のようだった。この巨大な廃都全体が、たった一人で世界に対峙する彼のために作
      られた防衛線、広大な宇宙に突き出した岬の突端、永遠に訪れることのない何者かを待ち受ける
      ための場所なのだ。
      「俺は何を待っているのか。俺は何に待たれているというのか?俺は何も知らない。ただ世界が、
      白痴のマテリアルがそこに存在しているだけだ。」
        *
       陽が落ちると暑気も少しは和らぎ、海のほうから来る風が肌のほてりを静めてくれた。月のな
      い夜空には満点の星々が灯り、星明りで影ができるほどだ。南斗6星の近くにはほんのりと赤み
      がかった干潟星雲やM17がぼんやりと灯っている。アンタレスの溶鉱炉のような赤、天頂に架か
      る白鳥座の清冽な十字架。もし造物主なる者がいるのなら、どのような意図でこのように美しい
      世界を作ったのか。英利は幻影の少女の不思議な笑みの意味にほんの少しだけ触れえたような気
      がした。
       八つ、九つ、十・・・。大地に横たわり流れ星を数える英利の目に宇宙塵が積り始める。瞳に
      星の光を宿した彼は、この廃星の虚ろな意識、空の器たることを受け入れようとしていた。流星は
      次第に密度を増し、めらめらと燃え上がる幾つもの大火球が天空をよぎった後、嵐のような流星
      雨となった。英利の脳も煌びやかなクリスマス飾りのようなガシェットで塗りこめられて発光し
      始める。金色の、銀の、青銀の、赤銀の星々の世界。やがて、大気を震わせ轟音と共に、燃え残っ
      た巨大な金属隗が落下してきた。激しい振動と舞い立つ塵埃の向こうに青白い光芒を放つその物
      体は、旧ソ連邦が宇宙に産み捨てた鉄のみなし児、宇宙ステーション「ミール」であった。


  投稿者:だ   投稿日:2001/02/27(火)23時11分47秒   ■   ★ 

       「ゼロの夏」のことですが、原稿のほう完結したのですが、ちと事情が生じ
      ここにUPすることができません。たぶん数ヵ月後には「事情」は消滅すると思う
      ので、その際には完全版UPします。読んでくれていた人ありがとう。


『ゼロの夏』   投稿者:ダーザイン   投稿日:2001/05/12(土)21時00分28秒   ■   ★ 

      「8.ゼロの夏」

      【ケンジントン実験】
      宇宙からの電波に初めて気付いたのは、爆裂電波研究所米国キャットピーク観測所の電波技師
      ジャンキースであった。1900年代初頭、当時発達し始めていた長距離無線技術の研究をしていた
      彼は、多くの分裂病者たちによって報告されていた、夜明け前に東の地平線から立ち現れて西へ
      消える不思議な曙のコラール、ドーン・コーラスが銀河の中心から放射される電波であることに
      気付いたのである。ここに現代電波天文学の発端を見るのが通説である。
      高エネルギー電子の放射のみならず、従来の光学的観測では検知不可能であった分子の電波、即
      ち光に対して透明で、且つ自ら光を放射しない低温ガスにまで観測域の幅を広げてくれた電波天
      文学は、彼の弟子であったワレンチン・スタブローギンによって開発された「電波干渉計」の技術、
      即ち、複数の既知外を同時に複数地点に配置することによって電波源の位置を四次元星図上に同
      定する方法により完成することとなるわけだが、その過程で既知外の解像力を上げるために様々
      な試みが行われ、とりわけ悲惨な結果を迎えたことで有名なものに「ケンジントン実験」がある。
      狂気増進のために投与された異常精神薬、若しくは異常精神療法のなかに何らかのバグがあった
      ため、物理的に不安定になった被研者たちは粒子や電磁波を放出して現存在と同一の座標上にな
      い別の核種の原子核へと放射性壊変して消滅してしまったのである。
      ここから、世界の夜の深夜にあっては存在と無が同一であることがマルチン・ハイデガーによっ
      て顕かにされるまであと一歩である。
      集英狂文者刊『電波天文学への招待』序
        *
       ミールの青白い光の中から3体の亡霊が這い出してくる。通り過ぎざま、「レインが寂しそう
      だよ」とひとこと告げると、夜風に吹かれて闇の向こうへ消えていった。
       レイン、れいん、何のことだっただろう?知っているはず。とても懐かしい響き。一瞬、優し
      い光の降る草原で戯れる子供たちの映像が脳裏に浮かんだ。少年が野花を編んだ花冠を少女の
      頭に載せようとしている。少女の顔は眩い光のせいでよく見えない。 ―― そこまでだ。
      これは誰の記憶?ほんとうにあったこと?英利はもう何もわからなくなっていた。
        *
       「最後の無人物質補給船」と報道され闇に葬られたソユーズ2000の乗員たちが、実は宇宙ステ
      ーション・ミールにドッキングした後、脱毛、白内障、全身を侵蝕する癌、そして存在の全体性へ
      の憧憬たる溶融などの放射線障害により帰らぬ人となったのは、後に明らかにされたところであ
      る。宇宙空間での被爆という形而上的で美しい死をとげた彼らは列聖され、拝み奉られることと
      なるわけだが、γ線から電波にまで渡る電磁波によって網羅統合されたテイヤール・ド・シャル
      ダン的な世界、ワイヤードを宇宙空間から統べた聖者たちが、世の終わりのロンドを舞うために
      降臨したのであろうか?
       ミールの放つ妖しい光に誘われて螢光サボテンの花芽が一斉にほころび、英利の周辺には色と
      りどりの夜花の群れが咲き乱れた。星々を観客に広大な無人園地で演じられる一幕の無言劇。渇
      きを癒そうとぺヨーテにむしゃぶりつく彼の目の中で世界は激しく輪舞している。もはや光と
      闇、存在と無の区別をつける必要を失いつつある「透明な存在」英利のもつ荷電粒子の速度が光速
      度(真空中の光速度÷英利の屈折率)より大きくなり、ミールの原子炉と同じように彼も青白い
      チェレンコフ光をまといはじめていた。開け放たれた英利の目には宇宙塵と放射能を帯びた灰が
      静々と降り積もり、祝福された天地の狭間にあって、消えようとする英利の意識の消尽点を探ろ
      うと、妖しく灯る無数の花々がドーン・コーラスを唄いながら彼の周囲に寄り集ってきた。
       すべての花々の中に少女の不思議な笑みが灯っている。大宇宙と様々な精神障害が奏でる世の
      終わりの音楽の中で、英利は少女の名前を、約束の花束のあるところを思い出していた。意識が消
      滅してしまう寸前、彼は少女の名を呼んだ。
      「零音!」と。
       絶対的な空虚であり、かつ絶対的な充溢でもある世界は、その無言の美を照らし出そうと、世
      界そのものの器として、この記念すべき日に、地上最後の電波望遠鏡、奥チベット観測所のコン
      ピュウタであった英利を召還したのである。
        *
       夜が明けると西の空からもくもくと黒雲が湧き出して雷と共に数年ぶりの雨が英利を、そして
      世界を洗った。大粒のレイン・ドロップがひとつ落ちるたびに荒野には塵埃が舞い立ち、乾いた
      大地は水を受け入れることを拒んでいるかに見えたが、やがて水たまりができ、そしてあちこち
      に儚い湖沼を作った。激しく打つ雨つぶて、染み入る水、たゆたう水、そして水たちは四方から谷
      地に集まり一過性の川を作った。やがて驟雨は通り過ぎ、雲の割れ間から幾筋もの光の帯が射す。
      水のおもてはきらきらと光り輝き大空に巨大な虹のアーチを作った。水たまりに映った小さな空
      の中に、遠い記憶の中の麦藁帽子が映っている。
       川を何処までも遡行していくと何がある?山だね。谷沿いに重複する低山を越えていくと、や
      がて氷の冠を戴いた高山のふもとに出る。森林限界の上には色とりどりの高嶺の花が咲いている
      だろうか。やがて川を遡行し終えると水の源の一滴があるところ、氷河へと至るだろう。クレバ
      スに気をつけながらそっと氷河をたどっていくと、とても登ることなど不可能な巨大な壁が天空
      に突き上げている。
      そして足下の青い青いクレバスの底では、男がひとり夢見ている。遠い夏の日の記憶を、思い
      及ばぬゼロの夏を。
        
                 ―――    暗  転    ―――

       軌道上の深宇宙観測衛星である零音は、何千年もの間、星々が奏でる樂の音を聞き続けてきた。
      地球から人間たちが消えてしまった後は、奥チベットに唯一残った電波天文台、英利だけが話し
      相手だった。永遠とも思われる長年月、ふたりだけで世界の転変を見守ってきたのだ。
       ある時は、青白い炎の柱を立てた巨大な彗星が地球に激突して大きな穴を穿ち、世界は闇に包
      まれた。また或る時は、光年の彼方で星が爆発し、大地は夜なお明るく照らし出された。そして、
      何千年もの何もない日々をふたりだけで見つめてきたのだった。
        *
       でも英利は久しい以前からおかしくなっていて、変な夢ばかり見るようになっていた。英利は
      自分が人間だって思い込んでいるのよ。おかしいわね。でも私も、昔々私たちは人間だったんじ
      ゃないかって最近思うの。よく夢を見るのよ。私たちは12〜3の子供で、キレイな花が咲き乱れ
      る草原に転がっている。光がさんさん降りそそいで暖かくってとても気持ちがいいところ。彼は
      花冠を作って私の頭に載せてくれる・・・
       ふふ、私も気が違ってきたのかしら。
        *
       そしてとうとう英利が完全に壊れてしまう日がきた。消えてしまう前の最後の一瞬、正気に返
      った彼は私の名を呼んでくれた。「零音!」と。
       さようなら英利、私の声はもう彼の耳には届かない。私の名を呼んでくれる人はもうどこにも
      いない。
       私はコンピュウタ。簡単なことよ、スイッチを切るだけ。私はコンピュウタ。涙は出ない。私
      はコンピュウタ、でも寂しい?
        *
       零音は軌道上にたったひとり、いつまでも見つめている。瞳に星の光を宿して、まぶたの裏に宇
      宙塵をためて。いつまでも、いつまでも。

                     おしまい   ('ー'x サミシクナイヨ
                                V

      # 旧板に乗せた第7節までも若干いじりました。↓前文です。
        http://cangup.virtualave.net/ng/ngup635.xxx



番外編

  投稿者:    投稿日:2001/04/06(金)23時20分01秒   ■   ★ 

      帯電し、白墨が燃えた。もし今また、石を風紋と古い伝統の市で射たら? 
      僕はイラクが勝つと考えた他を味方に、ともかく歓迎した市に来た。レミマルタン、
      ただ匂う? おいしさや、香りなしの水は飲めんね、致死の幕開きなのに。
      あの匂いなら川面に馴染む。森羅川面に砧の音が、遥か我が町へ飛んで行くよ。
      破綻あるのみが義務の僕の頭はにわかに狂い、死を待つ。人参減らし、芥子枯らし、
      頭支うロダンな手下。母の食べた喫茶店内は祈りの時、と味方がする推定。
      餓死た妻子ら、かばっている間は担わない民。かばん語「ニスン」。
      田を又あんたと大金で売ろうと、巻きつくこつしか知らない大樫の木。
      愛した遺体、首がないならうれしいよ。肉饅・餡饅が食べたいし、また呑みたい。
      呪い済みまな板・水まな板、買う予定だけだ。板の値が張るけど。おい、ろくでなし!
      あの松茸抱く骸骨は何時あそこで蒔いたっけ? 椎茸裁判派のリスクは? 
      どのくらいか快楽の度は?薬の販売避けた意志、蹴った今でこそ、熱い初恋が砕けた
      妻の脚撫で、黒いおどける鋼の鯛だけ抱いて酔う、硬いなまずみたいな真水色の胃。
      民の魂食べたガンマン、暗幕に酔いしれ占い長引く。痛々しい秋の鹿多い奈良、
      鹿しつこくつきまとう。漏電聞いた途端、頭をタンスにごん!馬鹿みたいな罠に
      はまる。いてっ!馬鹿らしい沙汰、死骸呈する姿。紙と木と糊の位牌なんて。
      さっき食べたのは、果たして何だろう、芥子かしら頭かしら?変人に妻を強いる国、
      河にはまたあの窪の麦が実る。あんたは良く遺伝と糸瓜がわかる?
      鋼の狸にも分からんし、狢にも分からない。鬼の兄の亡き悪魔の、7年目のはずみの
      シナリオか、優しい王鬼だ。タンタルまみれ、滝に親しい幻覚。鴨と似た神を讃え、
      眼窩と塚が暗い薄暮裸体で死のう。飛んでいる布団・毛布を敷いたまま、意志も絶え、
      もがく、僕は死んでいた



     えいえんさん @詩日記 肝油菩薩 死して屍 声神様貰い


Remix からの転載をまとめたものです。


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