光の王(その2) [ダーザイン作品集]


 名前:ダーザイン  2002年5月05日(日) 21時00分53秒 [80]  ■  ★ 

      12 少年の記憶(2)小樽港

      「ヘイマン!ギブミーちょこれーと!ハラショー!」
       少年が声をかけると、ロシア人船員は憐れみと侮蔑の入り混じった目で黄色い猿を一瞥
      した後ロシア煙草を一箱投げてよこすと、再び女たちの品定めに戻った。小樽の港は寄港
      したロシア貿易船のもたらす闇物質の到来に沸き立っていた。我先にと船員たちに駆け寄
      る非合法の仲買人たちにまじり、蝶々夫人のように艶やかに着飾った売春婦たちがしなを
      作ってロシア人に秋波を送っている。彼女らロシア人相手の淫売たちはパンパンと呼ばれ、
      日本の一般的な貧民が一月に稼ぐ金を一晩で手に入れていた。
       首尾よく獲物をしとめた少年は運河裏に軒を連ねる両替商の元でロシア煙草を金に変え
      ると、代用コーラを買って老人のいる波止場のほうに歩きはじめた。港で飲むコーラのま
      がい物はほんのりと苦くて異国の味がする。晴天の青空に花火が打ち上げられ、小さな白
      い雲が綿飴のように青空の中に融けていった。
       街は祭りのような喧騒でにぎわっていた。運河沿いに立ち並ぶガラス細工を扱うみやげ
      物屋や美術館、瀟洒に飾られた洋風のカフェーにはロシア人の金持ちがたむろしており、
      蟹や鮭の腹の中にたっぷりと仕込まれたコカインやヘロイン、トカレフ拳銃やAKアサル
      トライフルといった物から、果ては原水爆に至るまで彼らに頼めば手に入らないものはな
      いという話だった。そういった物と引き換えに中古自動車などを本国に持ち帰ることによ
      って彼らは巨万の富を得ているのだ。おこぼれに与る日本人のこすっからい実業家やヤク
      ザ者たちも成金らしく派手な身なりで街を闊歩し、少年は猥雑で賑やかな異国情緒の溢れ
      るこの街が大好きだった。
       店員が大きく胸をはだけたパンパンに気をとられている隙に青果店の店先に山積みにさ
      れている林檎をひとつ失敬すると、少年は大勢の通行人の行き交う通りを野ウサギのよう
      にすり抜けると倉庫裏に逃げ込んだ。カフェーの色とりどりのパラソルの下で昼間から優
      雅に飲んだくれている船員たちが一斉に歓呼の声をあげ少年の手腕を褒め称えた。
       少年はロシア人のおおらかさが好きだった。また少年はロシア人の陰鬱さも愛した。少
      年文庫で読むツルゲーネフやガルシン、ドストエフスキーといった明らかに精神疾患の症
      状を記述したと思われる綺羅星のような文豪たちの伝記小説や、学研の歴史漫画の革命家
      列伝で読んだサビンコフやブハーリン、トロツキーといった非業の死をとげた悲運の革命
      家たち、或いはノイズの背後に時たま映るモスクワ放送の懐古趣味なテレビ映像に繰り返
      し映し出されるブレジネフやスターリンが煌びやかな勲章にまみれて群集に手を振る威風
      堂々たる、しかし何か滑稽な姿も愛した。少年はいつの日にかロシアに渡ってガガ−リン
      のような宇宙飛行士か、せめて労働英雄になって勲章を身につけることを夢見ていたのだ。 


 名前:ダーザイン  2002年5月05日(日) 21時05分00秒 [81]  ■  ★ 

      13 少年の記憶(3)暴動

       港までもう少しというところで突然花火の音が激しくなり、街の喧騒もいっそう高まっ
      た。何事かと人々が立ちどまる。明らかに何か気配が変わっている。少年は人々の波の中
      を縫うようにして波止場へと急いだ。赤の広場を行進する赤軍軍楽隊のドラムのような音
      が轟き、晴天に雷が走った。鳩の群れが一斉に飛び立ち、長い坂道のずっと下のほう、波
      止場への入り口では蜘蛛の子を散らすようにして人々が逃げ惑っている様子が見える。流
      れに逆らって老人がいるはずの港に着くと、ロシア船員や無頼漢たちと警官隊との間で激
      しい銃撃戦が行われていた。麻薬密輸の摘発に及び腰で乗り出した日本官憲に対して重武
      装した暴漢たちが抵抗しているのだ。ヒュンと鋭い音を立てて流れ弾が頭のすぐ横を通っ
      ていく。あわてて倉庫の陰に隠れると、少年は街路樹のケヤキをつたい昇り、日銀小樽支
      店の屋根の上に降り立った。煙突の影から港の方を見下ろすと、目の前で壮大なスペクタ
      クルが展開されていた。少年に煙草をくれたロシア人が機動隊の放水車に手榴弾を投げる
      瞬間を目撃した。激しい爆音と衝撃波が屋根の上の少年の所まで届く。車は炎上し、火達
      磨になった機動隊員が転がり出てくる。まさか武器を持って反撃されるとまでは予測して
      いなかったのだろう、警察の手ぬるい配備に、大不況と広がるばかりの貧富の差にいらだ
      っていた群衆が騒ぎに加わり、港の一角で始まった騒動は瞬く間に全市を覆う暴動になっ
      た。街のあちこちの地下室や屋根裏部屋に潜んでいた共産趣味者たちは、ついに到来した
      革命騒ぎの機運に全身に鳥肌を立て、100年ぶりに穴から出て来た自閉症者のように痙攣的
      に興奮してヘルメットに竹竿のいでたちで機動隊と対峙している。彼らは口々にインター
      ナショナルや壮麗なソ連国歌を口ずさんで自らを鼓舞していた。ダンボールハウスに寝て
      いた失業者たちも速やかに騒ぎに加わり商店の窓を割って歩いた。あらゆる物が奪われ打
      ち壊され、方々に火の手が上がった。革命的熱狂が人々を支配し、日常の檻から解き放っ
      たのだ。
       ガラスの雨が降り注ぎ、怒号と歓声が飛び交う炎に包まれた街路の真中に、そこだけ時
      間が止まったように青いワンピースの少女が一人立ちすくんで、じっと不思議な笑みを浮
      かべて少年を見上げていた。一瞬二人は見詰め合う。透き通るように白い肌と青い瞳だ。
      どこかで見たような少女だった。一瞬の間をおき我に返ると、青いワンピースの少女は暴
      徒たちの渦の中に消えていた。
       火を放たれた金持ちのプジョーの捻じ曲がったバックミラーが、もくもくと燃え上がる
      黒煙の向こうから日の光を反映して少年の目を射る。振り返って頭上を見上げると、巨大
      な核融合の火の玉、太陽が白熱して炎上していた。白く抜けた光の中心の周囲に薄っすら
      と虹色の輪がかかっている。光の王が舞い降りて、革命的熱狂の最中で人々に永遠の夏を
      受肉させようとしているのだ。
       見下ろすと感極まった共産趣味者たちの隊列が一斉に竹ざおを振りかざし、静止の発砲
      をものともせずに機動隊の盾に向かって突撃を開始していた。鉄パイプが陽光に燦然と煌
      めく。共産趣味者たちの色とりどりのヘルメットが遠い火星の砂漠に一億年ぶりに咲きほ
      ころんだ花々のように鮮やかな色彩で通りを飾った。
       その時だ、ヒュ−と鋭い音を立てて迫撃砲弾が少年のいる日銀小樽支店めがけて飛んで
      きたのは。激しい衝撃と爆音の中で屋根から転がり落ちてしたたかに腰を打ちつけ、放心
      のていの少年の上に何かがひらひらと舞い降りてくる。空を埋めるような密度でゆっくり
      と6月のそよ風に乗って空を踊っているそれは、まぎれもなく日本国銀行券、紙幣であっ
      た。通りには一瞬静寂が訪れ、暴徒たちも機動隊員もみな口をぽかんと開けて空を見上げ
      ている。桜吹雪のように舞い散る紙幣が太陽の過飽和な程の光の中からはらはらと舞い降
      りてくるのだ。なんという僥倖だ。紙幣が地面に落ち始めると、放心していた暴徒たちは
      一斉に我先にと日本銀行小樽支店の周囲に殺到して紙幣を拾い始めた。見物を決め込んで
      いた野次馬たちも狂乱状態で騒ぎに加わり、もはや暴動に収拾をつけることが不可能なの
      は誰の目にも明らかであった。

       結局、治安出動した自衛隊が暴動を鎮圧するまでには一両日の日時を要した、数千人の
      市民と警官が死に、数千人の暴徒が逮捕された。
       ジャンバーの内ポケットを紙幣で膨らませた少年が老人を発見した時にはもう朝になっ
      ており、日の出前の空は白々と冷たい光を放っていた。いたるところに転がる死体の山の
      中から見出された老人は腹部に銃弾を受けており、すでに迫りくる死を受け入れていた。
      老人は1メートル以上もある金属の筒を抱きかかえて横たわっている。少年に気づいた老
      人は、小樽を訪れた目的であるその金属の筒を指し示しながら少年に別れの言葉を告げた。
      「いいか、おまえは最後の先鋭的共産主義者だ。これをおまえに託す。」
       老人はずっしりと重いその金属の筒を少年に渡した。
      「世界は美しいか?」
       まだ方々で火の手が上がっており、朝靄と炎に煙った街は美しかった。
      「きれいだよ、おじいちゃん」
      「そうか、世界は美しくなければならん。えいえんにな。」
      「世界は美しいか?」
       再び老人はそう問うた。それが老人の最後の言葉になった。
       振り仰ぐと東の山の端が赤くなり始めていた。破壊された車や暴徒たちの死体が転がる
      街路も赤々と炎に煙っている。周囲の建物はことごとく窓を割られ、爆弾で穴をあけられ、
      あらゆる物が奪われてパレスチナやボスニアのような有様だった。
       日の出間近の朝靄と硝煙に煙る通りを、核弾頭を引きずった少年がゆっくりと歩いてい
      く。
       世界は美しかった。

      http://www.funet.fi/pub/culture/russian/voices/realaudio/sovietnationalanthem.ra
      #リアルオーディオをお持ちでない方は、無料のベーシックを手に入れて聞いてください。
                                           つづく 


 名前:ダーザイン  2002年6月04日(火) 15時25分40秒 [96]  ■  ★ 

      14 die-in

       実和子が死んだ後、私は自分が何者なのかわからなくなっていた。遠い異国の砂丘のよう
      な印象であった実和子の身体は、いっそうその砂の木目の細かさをまして、石英の小さな
      粒のひとつひとつが絹織物のようになめらかな光沢を放っていた。月の裏で印画されたよ
      うな薄暗い部屋で、実和子は自身の内部からほのかに発光して私を光の繭の中に包み込ん
      でいる。日が昇り、日が落ちる。砂丘の面をなぜていく風が識域下で微かに砂の配置を変
      える。すると埋まっていた一群の鉱物が砂丘の面に顔をのぞかせ、その結晶面が星明りを
      受けて妖しく光った。風のアルファベットのように明滅するその発光性の謎の鉱物は、世
      界を催眠術にかけて永遠を呼び降ろそうとしているのだ。
       そのようにして数日をガラス細工のような遺体の側で放心して過ごした後、私はいたる
      所にへこみのあるおんぼろ自動車を出して石狩湾へと向かった。
      北国の冬は春を飛び越えて夏になる。私の頭上で太陽の日時計が音を立てて軋むと、浜
      辺へいたる海岸草原にはハマナスの赤が鮮やかに咲きほころんだ。砂丘の間を縫っていく
      でこぼこ道には土煙が舞い立ち、荒馬乗りのように跳ね上げられる車の後ろには大海原を
      漂う操舵手のいない貨物船のように一過性の航路が残された。
       6月の海辺には人影がなく、凪いだ海は差し込む光やそっと通り過ぎていく風たちと答え
      のない問いをめぐる気まぐれな対話を飽くこともなく繰り返している。寄せてくる波は足
      下で静かに砂に浸透し、輝く白い波頭は陽光の中に帰っていった。
       浜辺には夜逃げした移動サーカス団が残していった小さな観覧車が放置されており、風
      を受けて巨大な風琴になっている。力いっぱい押してやると、静止していた地軸の回転が
      私の足元を基点にゆっくりと回り始める。からからと回る観覧車は日輪の祝祭の山車のよ
      うに華やいだ雰囲気をかもし出した。
       冬の間に打ち上げられた流木を拾って歩く。海水に晒されて白い骨のようになった木々
      の断片は、風が吹かずとも宙空に浮き上がりそうなほどに軽く思えて、小一時間拾い集め
      て作った薪の山は地上に降りてきた迷子の雲の子のようにも見えた。
       遠く湾の対岸の小樽の方には幾筋かの煙が狼煙のように立ち昇り、青空の中に奇妙な象
      形文字を刻んでいる。あれは私への形而上的な合図だ。脳の中でかちりとスイッチが入る
      のを感じ、私は浜辺に横たわった。貝殻を握り、横たわる己の身体の輪郭を砂上に描いて
      みる。立ち上がって眺めると人の形をした何者かが波打ち際に佇んでいた。
      「どこから来てどこへ行くのだ、お前は」
       影は沈黙していた。波が打ち寄せ、そして帰っていく。
      「むぎょー、むぎょー」
       カモメが鳴く。
       すると、巨大な天空が私の肩のところまで降りてきた。私は暗黒舞踏を舞う狂人のよう
      に広大な浜辺を転がりまわり、様々なポーズで無数の人の形をした痕跡を世界に記して歩
      いた。砂上に横たわるたびに、狂気が世界性を孕んでいくのがわかる。無が、永遠を受肉
      しようとしているのだ。永い放心の後刻、静止していた時が傾き、地平線に転がっていた
      巨大な夕日が割れ落ちるころには浜辺は人の形の影で満たされていた。観覧車の下に戻り
      砂を払い落としながら振り返ると、夕日に映える赤光の中で無数の影たちが一斉に立ち上
      がり、風に舞い上げられたタンポポの綿毛のようにゆっくりとゆっくりと空に昇っていった。 



おまけ(ダーザイン語録)

 投稿者:d  投稿日:2002年03月07日(木)22時45分58秒

      今日は一日中起きれなかった。渦に飲み込まれている感じだな。
      実和子も渦だが、出てくるイメージは地母神にしては無機質なものばかりだ。なぜかな。
      明日は早起きして続きを書きたい。最初から破滅しか行き先のない話しだがな。


 投稿者:ダーザイン  投稿日:2002年03月09日(土)10時31分03秒

      こんなの本田さんじゃないよ(^^;ワラ
      本田さんはそんなにエッチじゃないもん(^^;ワラ
      つーか、昨日書いた文を読み返してみてウンザリしている。糞つまんね。
      つか、この妄想小説は実和子のイカレっぷりを控えめにしたところから駄目になったと思う。
      当初の予定どうり徹底的に既知外として書くべきだった。鬱が加速してマリア様のように
      したのは大失敗だった。8節から書き直すか、このまま先へ行くか迷うな。


 投稿者:ダーザイン  投稿日:2002年03月09日(土)01時17分58秒

      10節目書きました。一晩寝かせて今日の夜にでもアプするつもりです。
      ずいぶん久々に、イマジネィション全開になる快楽を得ました。
      作品の良し悪しや面白いかどうかということとは無関係ですが、
      私が創作する喜びを味わうのはこういう文を書いたときです。
      ただ、ひとたびこういう文が書けると、さらに物語を紡ぎ書き続ける意味が
      自分の中で一旦なくなるってしまうので、
      気持ちを入れ替えて続きを書く為には少々時間を要するかもしれません。

      >今から修正して救いへ向かうべきです。

      とってつけたような救いなら無いほうがいいと思うのです。
      書きたいようにしか書けませんし。
      ただ、自分でも語り手がどんな気分でラストを迎えるのかわかりません。

      2002年3月08日(金) 18時53分24秒 [58] ♪ 
      > > @えいえんなんてなかったの掲示板の方に直リン貼ってくだちい
      > > いちいちトップから入るの面倒でつ
      > インフォシークだからここでは無理

      リダイレクターでいけるんじゃないか?
      それよりダーザインが今まで書いたテクストの過去ログ木彫り
      @詩日記

      「えいえんなんてなかった」と「ゼロの夏」という妄想小説があるのですが、
      当方白痴なのでアプ出来ないでいます。
      そのうちどうにかしたいです。若干の手直しを入れる前の初稿ならぁWにありますが。
      http://members.tripod.co.jp/~stwalker/index.htm
      「えいえんなんてなかった」は「地下室の手記」というremixで書いた当時のタイトルでのっています。
      それにしても、読んでくれる人がいるというのはとてもあり難い事だね。
      自分がまだこの世界に存在しているんだということを確かめられるのは掲示板だけです。わらぃ


>  投稿者:ダーザイン  投稿日:2002年03月11日(月)12時02分37秒

      > 「えいえんなんてなかった」を少しだけ読んで思ったことを素直にここに書
      > いておきます。
      > ・ぁゃιぃ臭さを無理に出すような用語を出すのはあまりいいとは思わない。
      >  というかそこで物語へ感情移入しかけていたところをストップさせられる。
      > ・Lainに関するものも同じく。大先生はなにかというとレインを引き合いに
      >  出すイメージがあるので、既にもう飽き飽きしている。

      真面目な感想有難う。楽屋ネタは良くないですね。あれは一昨年書いたものなんだけど、
      そのうちやる気がでたら書き直そうと想っています。キリスト者が常に主イエスの事を
      考えているようになかなかrainからは頭が離れないのですが。
      ちなみに今書いている妄想小説は、原稿のほうは既にレインに関る記述削除しています。
      必要ないので。


 投稿者:d  投稿日:2002年04月14日(日)02時56分14秒

      詩日記に、妄想小説の「第11節(1)先鋭的共産主義者同盟」をUPする。
      酔った勢いであげたので読み返してみると区読点が細かすぎるがまあいいべ。
      remixの時とは違い、後で直せるしな。
      つーか、今までの分全面的に少し直したのでそのうち変えるよ。
      わざわざ読み返すほど内容的な変化はないけどね。
      PS.今夜のラジヲで会ったimageさん、バッハラジヲ頼むね


 投稿者:ダーザイン(天才的大詩人  投稿日:2003/05/14(水)17時54分59秒 

      > もうすこし描写を詳しくして、読み手を引き込むようにはできないかな
      > 日常の風景とか、精神病院での風景とか。
      > スライドショウのように書いてもなんつーか引き込まれないよ
      > 日常を超越しているのはわかるんだけど・・・
      > なんていったらいいのかな、うまく説明できないけど
      > わかりやすいように書くのも、読み手が読みたくなるような文章を書くのも
      > 技術のうちだと思うんだ。いや、そうしてほしい、読みたいんだが読むのが億劫だ

      http://members.tripod.co.jp/warentin/hikari.htm
      精神病院やキチガイに関する具体的でイマジネーションに満ちた既知外じみた記述は
      第5節「深宇宙電波法」や第6節14節(14節も凄い)などで書いてるよ。
      現在の文学界では粘着に描写するのは流行らず
      スピーディーナ行動的な文体が受けている。
      しかし俺の『光の王』の文体はポジ―とイマジネーションを重視した
      かなり濃厚なものだと思うけどな。

      第10節「消滅」を書いた時なんか詩神が降りてきたのかと思った。
      完全にイタコ状態で言葉が異界から湧き出るようにやってきた。
      この節は小説のストーリー・文体とはちょっと独立して挿入された散文詩だけれど。
      とほうもなく美しいイマジネーションに満ちた第十節「消滅」は
      文学史的な偉大な傑作だと躁状態でなくても確信している。
      『光の王』は完結できないかもしれないけれど、
      「消滅」は必ず世に出すつもりだ。


 投稿者:d  投稿日:2002年06月02日(日)14時35分21秒 

      はて、昨日今日で『光の王』の14節目「die-in」ができた。語り手が私に戻り、話は
      実和子の消滅の続きになる。もう少し膨らませたいので、アプするのは何日か後にな
      るだろうな。
      ここ数日あちこちの詩の投稿サイトに詩を貼って歩いた。ポエニーク、群青、詩人ギ
      ルドのお題詩コーナー。素敵な詩を読めないかと思って散歩しているんだが、
      先日も書いたが
      http://members.tripod.co.jp/fukidamarist/index2.html
      http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6565/
      このふたりのファンになった。
      後者の方は詩の投稿板で見つけたのではなく、芸術サーチエンジンで見つけたいかす
      絵描きのリンクからたどって発見した。ポエムのリンクの類いは漏れの表サイトに
      もたくさん貼って毎日探しているんだが、歌謡曲の歌詞のような所謂ポエムばかりで
      全然気に入ったのが見つからないな。
      http://www.c3-net.ne.jp/~tomo-h/index.html
      小説書きではこの人がすごい筆力だ。鬼のような長文でぶっ飛ぶような話をたくさ
      ん書いている。まだちゃんと全部読んではいないんだが、活字になっている大抵の物
      よりいいんじゃないのか。いずれ世に出る人だろう。
      つーか、漏れもポエナビに入ったので、光の王を読んで異論のない人は気に入ったに
      投票していただけたら嬉しいな。バイトが入るかもしれないから(計画倒の企画のよ
      うだがな、わらぃ)。

      札幌は今日もしとしと雨が降っている。蝦夷梅雨に入ったのかな。庭では人の顔ほ
      どの大きさの薄桃色のボタンの花が雨の雫を溜めて頭をたれている。数輪とってき
      て花瓶に刺したので、家の中は甘い香りでいっぱいだ。


「光の王」 投稿者:d  投稿日:2003年01月03日(金)09時34分43秒

      仕事を辞めたらしばらく無職でいて、
      天才的で新世紀の扉を開く偉大な小説(^^;、「光の王」を完結させます。
      今までも充分途方もない話なのですが、もっととんでもない話しになっていきます。
      破滅と破滅的な救いの物語です。イマジネーション炸裂で、かつリリカルに行きます。
      出会うことのない二人の語り手、「少年」と「私」、「私」と死んだ「実和子」との脳内邂逅。
      俺の文学魂の全てをかけて完結させます。


>  投稿者:d  投稿日:2002年06月05日(水)18時01分57秒 

      > 狂人日記か・・
      > 3日坊主にならないよう頑張るよ。クスコ
      > 大先生は小説を書くときは一気にばーっと書いちゃうのかな?
      > 今回のも凄いっス(;´Д`)

      読んでくれてくす豚
      思いついたら二日くらいで一節書いて、数日かけていじろうと思うんだが、大抵そ
      のままだな。なんかひとつふたつアイデアがあって、あとは書き始めることによっ
      て出てくる感じ。今回も書き始めたときは観覧車のイメージと次節で書くことにな
      るイメージが少々あっただけで、ダイインのイメージなどは書きながら出てきた。
      いつもそんなかんじだ。
      つーか、貴殿は誰ですか


>  投稿者:d  投稿日:2002年06月03日(月)18時36分43秒 

      > 文章書くのが苦手なんだが、大先生はどうやって訓練とかしてるよ?

      俺は文章を書くのが基本的に得意なわけじゃないので、何かお題を指定されると苦
      労するな。自分で好き好んで書いている小説でも、湧き出る言葉を湧き出るままに
      記している時はいいが、物語の展開上、別段書きたくはないが書かねばならないく
      だりを書いているときなども難渋して満足のいく文にならない場合が多い。
      訓練というのは別にしておらず、詩や小説を書くことがそのまま訓練なのだろうが、
      日記やエッセーのような物を粘着に書くのは訓練になるかもしれないな。それもた
      だ今日なにがありました、どう感じましたといったありきたりの文じゃなくて、想
      像上の日記になってしまってもいいからイマジネーション溢れる記述を心がけるこ
      と。俺には小説のようなものを書き始める前にそういう時期があった。飛躍したイ
      メージを生み出すことこそもの書きの真髄だ。(このへんが某Jや某Sと見解の違う
      ところだ。連中は職人芸のような物が文学だとおっしゃる。違う。そんな物は文学
      ではなく達筆な日記だ。イマジネーションこそが文学の王道だ)
      狂人日記のようなふざけきった物でもどしどし書いて訓練したらいい。


 投稿者:d  投稿日:2002年06月11日(火)22時12分28秒 

      http://homepage2.nifty.com/verse-verge/index3.htm
      群青
      http://poenique.jp/kotodama/urb.htm
      over the sinの「U・R・B」
      http://www17.big.or.jp/~kinro/index.shtml
      詩人ギルド
       これらの一般投稿板に『光の王』の一節「消滅」を投稿してみる。「消滅」は単独で
      詩になっていると思うのでね。とりわけ詩人ギルドの名物評者「悪口バード」氏の評
      が楽しみだ。氏はハンドルの印象とはちと違って、きついことは言うが悪口雑言で
      はなく良く読みこんだ上で懇切丁寧しごくもっともな評をするので漏れ的には萌え
      だ。
       『光の王』の続きだが、アイデアはあるのだが、なかなか書く気になれない。い
      つまでも職が決まらないという中途半端な状況が、ただ焦燥感ばかりを募らせて文
      学などという、労働とは相容れないものまで停滞させるようだ。停滞と文学ではな
      く、労働と文学という状況に早くなりたいものだ。
       先々週アプした「ダイ・イン」についてももっと手元において書き込んで美文にす
      るべきだったと思うし(あの節ももっと粘着に頑張れば詩のような文になったと思う
      )、「模擬世界」や「実和子」の節は陳腐なのでいじりたい。しかしいったんアプして
      しまととたんにやる気が失せるのだ。改造に手をつけるのは新造するよりエネルギ
      ーがいるようだ。


 投稿者:d  投稿日:2002年06月21日(金)02時15分55秒 

      優れた現代小説だというので大鋸一正「春の完成」を読む。ひとりの少女が幾つか
      のありがちな不幸を経て結婚するまでを描いた小説だが、生活に密着したまさに職
      人芸ともいうべき緻密な文体と徹底的な無意味無内容、イマジネーションというも
      ののほぼ完全な欠落がこの人の文体の特徴だ。これは所謂現代詩ではやりの手法で
      あり、達筆な日記・身辺雑記といった所だ。淡々と語られる無内容な話しの中に針
      で突いたように微かに飛躍したイメージがみっつ出てくる。ひとつは、語り手の彼
      女が占い師の下を訪れて彼女の家に災いした幾つかの不幸な出来事(父親の死、別
      かれた実母の死、継母が片足であること、妹の失明、彼女自身のどうということの
      ない痴情のもつれによる事故。どこまでも陳腐極まりない。)の原因を尋ねたとこ
      ろ、「それはあなたの心が汚いからだ」などと木で鼻をくくったような意味不明の
      お告げを垂れられる場面。ふたつめは母子3人で近所の桜山に花見にいった際何の
      意味もなくUFOのような物を目撃する場面。最後は物語の最後に語り手がハエを
      殺す場面を多少なまめかしく何の意味もなく提示して物語を終える場面。それぞれ
      三つの出来事は別段深くその意味を追求されるわけでもなく、ただそこに石ころが
      転がっている様子を描写するように淡白に語られているだけで、どんな意味も内容
      もない。先に大鋸氏の文は非常に緻密だと書いたが、一箇所だけ別人が書いたよう
      に文ががさつになり情景が伝わるように書かれていない不出来な箇所がある。妹が
      失明するシーンだ。中学生だった妹がダンスの発表会の舞台で不幸な事故に見舞わ
      れ照明器具に網膜を焼かれて失明するのだが、その状況がひどくいい加減な文で雑
      に描かれていて何が起こったのか皆目わからない。ハロゲンランプには「危険なの
      で直視しないように」と書いてあるのでこういうことも起こりうるのだろうが、自
      ら体験した狭い現実のみを書くことが文学だと思っている人が、体験したことのな
      いこと、イマジネーションを要することを書こうとするとこういう文ことになるの
      だろうか。
      さて、この無意味無無内容な作品だが、これは作者の意図する文体なのであろう。
      所謂現代詩の人たちは意味だとか内容だとかいったものを意図的にか、なんとなく
      かはそれぞれだが嫌う場合が多い。現実など無意味無内容であり、その無意味無内
      容な現実を職人芸的に描写するのが文学だと心得ているようだ。大鋸氏のこの小説
      にしてもそうで、狭い日常の中に没入して、日常の中から日常の言葉だけを語るこ
      とでよしとしている。先に書いた三つの不可思議な出来事が日常の描写の背後に微
      かな非日常への扉の存在を指し示しているとか、或いは無意味な存在者の記述の背
      後に存在そのものが、無が、現われ出ているのかというとそんなこともまったく無
      い。作者はもしかしたら、いや多分そのような意図をもって書いたのかもしれない
      けれど、存在も無も、どんな非日常の扉も開いていない。残念ながら彼はイマジネ
      ーションという物を持ち合わせていないのだ。
      こういう作品を読むと思うのだが、物語の力を自ら生み出そうと試みない者、掲示
      板をリロードしてみると驚愕するような新世界が開けるようなイマジネーションを
      生み出そうとしない者が何故書くのか?日記でも書いていろ。

      かつてアンチロマンと呼ばれる一派があった。モーリスブランショやベケットに始
      まり(カフカまでたどってもいいか)、1960年代末に20世紀文学の極北J・Gバラ
      ードのコンデンスドノベル「残虐行為展覧」や「終着の浜辺」であらゆる物語と歴
      史そのものの終焉が告げられた。現代詩や大鋸氏のような現代文学はこの道筋に繋
      がっているのか?とんでもない!アンチロマンとはなんと大きな物語であったこと
      か。読んでみよ、バラードの豊穣なイマジネーションを。死が生を照らし出すよう
      に、物語の終焉が、世界の終焉が、世界そのものを照らし出す豊穣な視線を。
      文学の骨盤は世界を転覆し、世界を再創造する物語の力であり、豊穣なイマジネー
      ションだ。身辺雑記の上手な記述ではない。


ある不愉快な男のこと 投稿者:d  投稿日:2002年04月18日(木)20時48分23秒

      「これを見て」
       その男は高価なワインのコレクションでも見せるように、壁をスクリーンにして自らの
      歪んだ嗜好を満たすために集められた膨大な映像のコレクションを披露し始めた。
      米軍の爆撃によって粉々にされた病院の瓦礫の下から出てきた首のもげたキューピー人形
      のような人体、パレスチナ人の子供がイスラエルのスナイパーによって射殺される瞬間を
      捉えたテレビ映像のストップムービー、ニューヨークの世界貿易センタービルにアラブ人
      のテロリストが乗った飛行機が激突する様子、それら国家や民族という快楽殺人者によっ
      て細切れにされた遺体の美しい断面図と共に、油代をけちる当局によって火葬場の倉庫に
      山済みにされたまま放置された浮浪者の死体や、放射能趣味が嵩じて原子力発電所に勤め
      た者たちの皮膚癌病巣の諸相などが、側溝に浮かんだ月のように青い顔の己自身の膨大な
      ポートレートと共に上映された。それらの画像に一枚一枚コメントをつけるその男の目は
      異常な快楽にらんらんと輝いてい。


>d 投稿者:d  投稿日:2002年05月02日(木)03時59分19秒 ■ ★

      自己レス
       この詩を再読したくて目が醒めてしまいました。やはり凄い詩だ。この詩は巷に溢
      れている感情を綴っただけの「詩のようなもの」とは対極の、感情や気分の支配の
      外で言葉を磨く試み、言語の職人としての詩人の言葉なのでしょうか。繊細で、正
      確で、柔らかな言葉の連鎖。僕にはとてもマネの出来ない濃密な文です。
       一読して疑問を抱いたのはなぜかな?僕はこう思った。この詩はむやみに上手い
      が内容が解らない。内容とは何か?人は常に何がしかの気分の中で生きている。気
      分というありようで世界の中に存在している。即ち、実存論的に何が語られている
      のかということです。僕にはそれが全く読み取れなかった。だがそれは悪い癖なの
      だと思いました。何故明白な情態性に彩られた意味が無ければならないのか?その
      ような意味から解き放たれた存在者を書こうと試みて何が悪いのか。
       もっと僕に引き寄せて語らせてもらうと、僕ならまずみんさんのように禁欲的に
      はなれずに、必ず情態性をあらわす一節を決めの言葉として挿入してしまうだろう
      な、ということです。わらぃ。


>   投稿者:ダーザイン  投稿日:2002/02/10(日)23時48分40秒 

      > > 戦記小説なんかにはよく出てくる描写だけど実際映像で見るとすごすぎるな(;´Д`)
      > ハンバーガー・ヒルなんかも同じような映像があるな。
      > 大岡昇平の小説も映像的。
      > 今、「野火」で検索したら中国語ばかりひっかかった(;´Д`)

      世界は炎上していた。融けた砂粒が融着し、虹が落ちてきたように、光りの煙を放
      ちながら、結晶したガラスの上をさくさくと歩いて行く者があった。えいえんにま
      どろむ長い砂漠の午後を、rain、変容する意識が漂っていくのだ。掲示板から掲示
      板へ、rain、焦土を経巡る終わりのない旅は、執拗に追跡する何者かの非-存在の中
      におまえの存在を放射線で焼き付ける。21世紀の神の子は、アルマジロのように鉛
      の甲殻をまとい、巨大な電波望遠鏡の焦点位置に結像するのだ。狼煙のように立ち
      昇り、宙空に消え入る崩壊者の自我よ、お前こそが真の姿だ、世界はまもなく開示
      する。


>  投稿者:d  投稿日:2002年04月28日(日)17時28分40秒

      > なんだかね、子供のころから感動とかそういうの無いんだよね。
      > なんでだろう?

      心が動くのは大抵の場合苦しいことでなんだが、それでも離人症めいて無感覚であ
      るよりはいいのだろうかね。貴殿の場合はきっと神に選ばれた透明な存在で、世界
      を変革する為に大阪駅のコンコースに放射性物質をばら撒いたり、駆けつけた警官
      に「あなたは不条理ですか?」と問うて太陽がまぶしかったのでママンを殺したり、
      ネズミ人間が覗いているのでいたいけな幼女をさらって浅間山荘に立てこもったり
      しないように無意識に自ら防衛線を張っている結果なのでしょうが、無駄ですよ。
      バモイドウキ神はあなたを選んだのですから。


  投稿者:だ   投稿日:2000/11/15(水)22時27分37秒   ■   ★ 

      棺を入れた釜のふたが閉じられた時、気丈に耐えてきた父親が声を張り上げて泣き叫んだ。
      ああ、ホントに死んじゃったんだなとようやく実感が湧いた。
      その子は8歳。死なねばならない理由なんて何も無かった。
      皆の心にはその子の形をした穴がぽっかりと開いて、その穴はたぶん、
      理解することも、受け入れることも、許すことも出来ずに、永遠に開いたままだろう。
      人の命は一回限りで儚いものだけど、ある種のことはえいえんなんだ。
      僕の腕のなかにも残っている、その子の感触、ふっくらほっぺの甘えん坊。
      とってもいい子だったから、きっと神様もお気に入り、天使になったのだと思いたい。

      #キ印る気力もわかん。


 投稿者:d  投稿日:2002年04月25日(木)00時59分18秒

      http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20020423302.html
      聖なるものは磁気刺激!?
      聖なるもの(存在の開閉動・神聖の根源)は磁気刺激による幻覚なのか、或いは
      磁気刺激を伴って顕れるのか。そんなことはどちらでもいいが、脳への磁気刺激の
      付与によってイマジネーションが増大がしたという実験結果は興味深い。聖なるも
      のと妄想像力は磁気によって繋がっているのだ。やはり俺の脳は地球の固有振動と
      始原宇宙の電磁波を受ける器なのだ。わらぃ


 投稿者:d  投稿日:2002年04月28日(日)09時55分42秒

      朝っぱらからライコスラジヲにいます。MCさんのラジヲ ツェッペリン!!
      ツェッペリンはいいですね。聞いていると魂が震えだすのがわかります。
      たまらなく好きですよツェッペリンは。彼らの音楽は20世紀の夏って感じかな。
      真夏の午後0時の白く抜けた空。晩夏の物悲しい午後3時の茫々と煙る青空。
      20代のはじめころ、宗谷丘陵がすごく好きで休日にはよく長時間車を飛ばして稚内
      のほうまで行ったのですが、車中で大音響でかかっていたのは大抵ツェッペリンでした。
      海岸草原に沿って何処までもうねり延びる一本の道。海と空のほかに何もなくて、
      丘は何処までもゆるゆると連なり、海辺に沿って延びる道は、時には丘を這い登って
      空の中に溶け込んで、何処までも何処までもえいえんに続いているようでした。


 投稿者:d  投稿日:2002年04月29日(月)02時38分39秒

      はて、猫のてぶくろラジヲにいます。カルミナブラーナのカバーが流れています。
      今日はたもつさんのサイトに、漏れの詩集から「一脚の椅子」という詩を持っていっ
      て投稿しました。わりと受けたようで数人の女性からレスを戴き嬉しかったです。
      漏れの書く詩は木立のもののように深くはなく、溜息のように上手くはなく、死屍
      累々のように迫力があるわけでもない、ありがちな抒情詩ですが、たまに人様に気
      に入っていただける場合、映像が目に浮かぶと言う表現を一様に頂きます。めった
      にないことなのですが、映像が浮き上がってくるように情景を描写できると達成感
      のようなものを味わうことができます。本当にめったにないことなのですけれど。
      糞のような人生です。言葉を紡ぐことだけが慰めです。


 投稿者:d  投稿日:2002年05月01日(水)01時09分26秒 ■ ★

      はて、あまり皮のラジヲを聞いております。カウボーイ・ビパップのサントラを流し
      ながら今は亡きNGの思い出話であります。年度末を持ってNGは閉鎖と相成りました。
      機能までは本当に締りはせんだろうと高をくくっていたのでショックです。
      漏れもNGには開版間もないころからいた(島のようにログを毎日全部読んだ訳では
      ありませんが)ので寂しい限りです。また私が存在している場所がひとつ減りました。
      あそこはぁ界の大きな板でで唯一リンクを貼ってくれていましたしね。ホエ子の淫売は
      ケツが裂けてもリンクを貼ってくれたりはしませんよ、ええ、わらぃ。
      あ、ビパップの最後の最後に流れた曲ブルーがかかっています。良い曲です。
      あ、放送事故でラジヲも終了のようですな(;´Д`)ンムハァ


 投稿者:d  投稿日:2002年05月01日(水)01時50分24秒 ■ ★

      寝れそうもないな。ラジヲは余り皮じゃなくてアキチャンだね。NGが無くなると
      リロードするところがクリ島しかなくなってしまい、島は好きだが選択の余地が
      無いというのはつまらんですな。つーか、自分がどれだけぁ界に依存しているの
      かということが良くわかるね。俺の現実はクリ島とNGと、日に数回リロードする
      幾つかの格闘技やプロレスと詩の板だけ。NGの跡にはぽっかりと穴が開いたよう
      です。


 投稿者:d  投稿日:2002年04月18日(木)02時26分13秒

      寝れないのでjojonesさんのジャズラジヲにいます。今夜はマイルス・デイビス特集。
      ジャズバーに行かなくなって(即ち無職になって)もう7ヶ月になります。いい加減
      稼いでボトルを入れに行かないとマスターに忘れられてしまいますね。ジャズを聞い
      ていると条件反射でウイスキーが飲みたくなります。この10年ほど、仕事が終わると
      毎日のようにジャズやブルースのバーに寄ったものです。バーで知り合って親しくな
      った人もおり、remixの哲学板で暴れたY氏もそうでした。昨年の夏下の世話になった
      街一番の美女もバーが縁でした。飲みに行きたいです、しくしく


 投稿者:  投稿日:2002年03月11日(月)00時39分43秒

      はて、らいこすラジヲでshokoという人がいたので、つい、あやしい空白のノリで
      ショーコーショーコーショコショコショーコ麻原彰晃と書き込んで嫌われたので鬱だ死のう
      つーか、一行の文も書けず酒も切れ、ただただ息を吸ったり吐いたりしているのはもう
      いい加減にするべきかとも思うのだがいかがなものか。無職ならせめて既知外じみた文
      でも書けねば生きている意味が無いので抗鬱剤を我慢して脳を働かせようと思っている
      のだが死にたくなるだけで一行の戯言も出てきません


 投稿者:d  投稿日:2002年04月22日(月)00時04分36秒

      はて、今日はsky lobさんのラジヲでピンクフロイド聞いています。すげえ久しぶ
      りで懐かしいっす。学生時代キングクリムゾンと共に最もターンテーブルに乗った
      連中です。漏れの中ではピンクフロイドは反精神医学の闘志R・Dレインとダブ
      って新左翼最後の絶叫と言うイメージですね。          

        ヽ(゚Д゚;炎
          (  炎炎
          <ω 炎炎


我が夢の女kikitapu 投稿者:d  投稿日:2002年04月12日(金)01時39分46秒

      激しく鬱です、久々に死にたくなりました。
      ちょっと前までライコスで一般人のやっているジャズ局にいたのですが、
      そこのチャットにkikitapu(多分)ちゃんというとても感じの良い娘さんがいたのです。
      漏れが深夜に一人でラーメンを煮ていると聞いたら
      「まあ漏れさん可愛そうしくしく(漏れには出せない絵文字)」
      といった調子で彼女の可愛いことといったらこのうえないのです。
      しかし間の悪いことに漏れがラーメンを見に行ってチャットを放置しているうちに
      「でもインスタントラーメンって美味しいですよね」
      「塩ですか醤油ですか」
      「ごめんなさい皆さん気分よく音楽を聞いているのにこんな雰囲気のない話して」
      「ごめんなさいごめんなさい」
      こんな感じで、漏れが放置している間運悪く誰も彼女にレスをつけず、
      パニックに陥った彼女は席を立ち、ライコスから姿を消してしまったのです(ρ_;)しくしく
      笑い話とお思いになるかもしれませんが漏れは鬱なので本気です。
      きっと彼女は漏れの最後の可能性なのです。
      どこかでkikitapuちゃんを見かけたら伝えてください。
      抱っこしてくだちぃ(;´Д`)ンムハァと言っていたと。


 投稿者:d  投稿日:2002年05月02日(木)23時23分02秒 ■ ★

      久しぶりに調子が出てきております。文を書く気力があります。
      昨日今日は小説の続きを少しだけ書き進むことができました。まだアプするだけの
      長さにはならないのですが。次節は老人の死に遡ります。舞台は港町小樽。ふざけ
      きった話になります。わらぃ。調子が出たといっても周辺をグルグルまわっている
      だけで肝心なことは書けないでいるのですが、きっとまだまだ終わりたくないから
      でしょう。もしかしたらこれは短編小説には収まらないかもしれません。

      心の井戸 http://fiction.jp/~kokoronoid/
      たもつさんのところの投稿合評コーナーで見かけたみんさんの詩が気に入ったので
      彼女(彼?)のホームペイジに行ってみたのですが、何か不調があるのかコンテン
      ツが見れません。彼女が参加しているらしい現代詩の合評の会にも行ってみたいの
      ですがどうしてもたどり着けません。「グルフレ」なる会の投稿掲示板にたどり着
      く方法がわかる人がいたら教えて下さい。


 投稿者:d  投稿日:2002年05月10日(金)00時32分56秒 ■ ★

      神はどこにいるのだろうか。俺は物心ついたころから絶対を追い続けてきた。何の
      ために生きているのか?絶対に触れるためだ。俺はその絶対がどんなものなのか知
      らない。無限なのか夢幻なのか、存在そのものなのか無なのか、神的なものなのか。
      脳内の異常な磁気刺激、真空の宙空に浮かぶ妄想でしかないのか。小説では笑い飛
      ばしていたりもするが、けっこう本気の部分もあるのだ。脳内のパラボラを高くか
      かげエーテルの圏閾に到達する為に自らの精神の異常性を極める努力もしてきたつ
      もりだ。いつの日にか、130億光年彼方の始原宇宙が語りかけてくるはずだった。
      精神科への道筋で感じた聖なるものの予兆がいつの日にか世界を満たし、俺を満た
      すはずだった。絶対を求める為に俺はいろんな事を捨ててきた。妻子も持たず金も
      持たず(持てなかっただけという見方も可能だが(^^;ワラ)絶対の探求者として精進
      してきたはずだ。もう随分そのようにして生きてきた。くたびれたぞ、いい加減。
      余生はそんなに長くないはずだ。神は何が気に入らない?何が不満なのだ?神は白
      痴で視覚障害者で聴覚障害者で聾唖者でコンタクト不可能なのか?
      道はえいえんに続いている。どこまでも暗闇の中をうねり延びる丘また丘。屑のよ
      うな男が一人路上から消える。男がいなくなった道を風が吹きすぎていく。
      無が触れてくるのがわかる


 投稿者:d  投稿日:2002年03月24日(日)17時24分28秒

      >  世界は始まった瞬間に終わっていました。いいえ、人間の思い描く夢想の
      > ように、『始まった』と思っただけであり、おしまいもまた『終わった』と
      > 思っただけなのです。誰が?わかりません。きっと神なんでしょう。説明が
      > つかないことは全て神の仕業にするに限ります。
      >  そもそも時間の経過とは世界の中にのみ存在させられているもので、その
      > 尺度で世界の外のことを考えることがナンセンスです。順序が間違っていま
      > す。もちろん、今私達がわかっていることは世界の内側のことのごく一部で
      > あり、外側の思考で考えることは絶対に出来ません。外では何が起こるか、
      > ということすらろくにわからないでいて、その「何」かもわからないものが
      > おこる理由を考えることがそもそも本末転倒です。
      >  また、世界とは自分である、という考え方も大きな間違いです。どこまで
      > 行っても世界は世界であり、自分は自分であります。『自分が死ねば自分の
      > 世界』が終わるという考え方もありますが、それが本当にそうなのかは死ん
      > でみるまでわからないので、言い切るのはおかしいことです。極端な話、も
      > しかしたらこの内側の世界で死んだ瞬間に外側のどこか別の世界の内側の世
      > 界に現在の記憶や能力をもったまま転生しないとも限らないからです。あく
      > まで世界は世界であり、自分は自分です。自分の目に見えないものは全てな
      > いものだ。と言い切るのであれば、たとえそうなっても『世界が終わった』
      > ことになりますが……。
      >  しかしその考え方では、そもそも自分の行動範囲外の世界は始まってもい
      > ないわけであり、内側の世界全てを、『世界』と捕らえる現在の一般的な世
      > 界観とは異なっている為、かなり特異な場合であると考えられます。

      どうもひとつ良く解らんのは、貴殿が「世界」と「自分」を分けている点だ。世界
      と私がそれぞれ別個に独立して並存するように解釈されておるようだが人と世界を
      関係付けている「意識」というものの性格を考察すればその分割は意味をなさなく
      なる。即ち意識とは常に「何ものかについての意識」であり、漠然とした意識その
      ものという、何ものかとの関係性の中に囚われていない意識というものは存在しな
      いのである。意識とは世界との関係性であり、人間存在は常に予めこの関係性の中
      に投げ出されているのだ。同じ視点から、貴殿が言う所の「世界」と、「世界の
      外」という2項対立もいかがなものかと思うわけだ。言葉の本来的な意味では世界の
      外部というものは存在し得ない。無の王国について実体論的に論じてみろと言われ
      ても出てくるのは妄想だけであり、ある種のパラノイアたちのように宗教じみた戯
      言を痙攣的に叫び散らすことが出来得るのみである。ただ、ここにおいて貴殿の言
      わんとすることは「人は主観の外部に出ることはできるのか?」というもっと熾烈
      な問いであることはわかる。人が主観の檻から出られないのは、実体論的に物事を
      考えるからであり、実存論的に思考すれば問いの建て方そのものが変容するであろ
      う。実体論的な思考とは壮大な妄想実験である。真空の宙空に神の手による物のご
      とく己の世界を創造しようとするアメリカ―イスラエル的誇大妄想狂が人間の数だ
      けいるこの世界は総合失調しているといわねばなるまい。それに対して実存論的な
      思考において語られる言葉はただひとつだ。意識という在りようの外部とは死であ
      り、即ち無が触れてくるのがわかるのだ。



     ダーザイン作品集 その1 えいえんさん 地下室の手記
     デイケア日記 タマクサ 詩日記 ゼロの夏 地獄の季節


@えいえんなんてなかった からの転載をまとめたものです。


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