@出来事(その10)


 投稿者:あしたば  投稿日:2003/10/19(日)00時50分21秒  ■  ★ 

      http://www.rtpro.yamaha.co.jp/RT/FAQ/Messenger/

      MSN Messenger 4.6なのですが、サインインできないとか何とかいいよられました。
      5.0/6.0だとUPnPに対応していないとかRTA54iでファイル転送ができないとか
      そういうのがあるようで、別段、特に困ることもないのですが、たまにね、
      ちょっとファイルを送ってみたくなったときにね、いちいちFTPdを立てたり
      しないとならないのかと思うとね、いや、そこまでして送ろうとは思わないん
      ですけどね、ちょっと億劫だなと思わないでもないのです。
      本当に特には困らないんですがね、少しだけでも面倒臭いことが増えたのかも
      しれないと思うとちょっとね、なんつうかあれなのですよ。死ねや糞が。


秋の花火  投稿者:あしたば  投稿日:2003/10/12(日)04時24分21秒  ■  ★ 

      ふらふらと散歩に出かけたら、偶然に荒川の河川敷で花火を見ることができました。
      おそらくはディズニーランドで打ち上げられた花火だろうと思っているのですが、
      それは花火大会を見に行った場合より遠目にあっても、きちんと花火の全体が見える
      位置だったようで、周りに誰もいないことから一種の特等席のようでした。
      時間にしたら5分程度のもので、それこそ偶然に見ることができたからこその満足感
      には違いないですが、10月に見る花火もきれいなものでしたよ。

      ということで、疑問となったのは、何で花火は夏に行うことが主になっているのか
      ということなのですが、軽く調べてみてもそれらしい情報が見つかりません。
      子供の頃から夏になると花火で遊んだり花火大会を見に行ったりしていましたが、
      何で夏にばかり花火をするのかは考えたことがなかったので誰か知っていたら
      教えてください。


>   投稿者:あしたば  投稿日:2003/10/19(日)04時02分18秒  ■  ★  ◆ 

      > 夜にしないときれいじゃない→冬の夜は寒いから冬は除外
      > →春は桜、秋は紅葉狩りとかで季節ごとの風情があるが夏にはこれといったものがない
      > →ないので作ろう→花火→猫起きる?

      http://www.takahashimaru.com/hanabihistory.html
      http://www.nagano-c.ed.jp/seiryohs/tosyo/tosyo44/rekisi.html

      考え直してみたのだけど、何で花火を夏にばかりやるのか、じゃなくて花火の歴史を
      調べてみればよかったのだよね。
      夏と花火の関係を調べても、冬にも花火大会があるとか考えがまとまらないような
      情報ばかり集まって困った挙句に、考え方を変えてみたよ。

      というわけで、歴史について調べてみたのですが、花火の始まりとなる紀元前の中国
      から始まる狼煙としての手段から始まって、夏らしい背景が出てくるのが日本での納涼
      花火、涼み船のおまけとして流行ったものであったらしいことを考えると、夏である
      必要性については根源的なものでもなんでもなく日本で勝手に作られたものみたいです。
      バレンタインのような企業戦略ではなく、金持ちの道楽、流行からきているもので
      ある分、まだ理由としてもマシなほうなのかもしれませんし、風習になれるほどの
      時間を継続している流行なのなら納得しないでもないような気もします。
      元を正せば「花火を上げること」が流行なのではなくて、「納涼の行事として夏に花火を
      上げること」が流行として続いているのだと考えれば妥当なのでしょうか。
      でも、そうなると打ち上げ花火自体はただ火薬詰まった玉を爆発させているものである
      わけでそれそのものが納涼を示しているわけではないし、花火を見るという理由の元に
      夜風にあたりに行くことがメインであるはずなのか。

      どうにもWebで花火についてを調べてもおまけ程度に簡単な説明だけが書かれている
      ページが多いので、もうちょっとちゃんとした情報を調べるためには本での資料を
      集めた方がよさそうなのだけど、面倒なのでこれについてはこれ以上は調べませんし
      考えるのをやめます。
      つうわけで、間違っていても怒らないでください(;´Д`)


 投稿者:あしたば  投稿日:2003/10/27(月)03時41分20秒  ■  ★ 

      そういえばこんなことを思ったことがあったのでまとめてみよう
      →思うきっかけになった理由を思い出してみよう
      →ついでにわからなかった部分を調べてみよう
      →さっきまで欠落してた部分が埋まって何でそう思ったのか納得
      →まとめはしたけど、納得できたしこれはこれでお終いでいいのでは
      →消すボタン
      →どうにもこれでお終いというのは何か変だぞ
      →変なのついでに消すボタンを押すまでを羅列してみよう
      →これ


 投稿者:あしたば  投稿日:2003/10/30(木)03時08分28秒  ■  ★ 

      http://club.nintendo.jp/hotmario/index.html

      ファミコン型ゲームボーイアドバンスは何とはなしに欲しくなるけど、オーク
      ション価格70000円前後ってのはすごいね。ここまで来てるものだともう買っている
      方の近視眼的な欲求と一緒に価値だけが上昇してて、落札価格=適正価格の関係に
      なっちゃってるんだろうけども。
      この調子だと次のキャンペーンのスーパーマリオ復刻版とまとめて出品される時が
      来ても、この相場は変わらないままのような気がしないでもないのですよ。

      いやでもまあ。スーパーマリオ復刻版以外にもゲームボーイアドバンスでファミ
      コンのゲームがでてくれるとその場の雰囲気だけじゃなしに、もっと魅力的に
      なると思うのだけどもなあ。
      つうか、アドバンス版スーパーマリオ欲しいさ。あとできるなら妖怪道中記。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/03/21(日)20時54分53秒  ■  ★ 

      ファミコンミニを買った 買ったゲームはドンキーコングとマッピー
      何故かといえば他のがなかったからだ

      昔のゲームがやりたくなったんだよ でもスーパーマリオは買えなかった
      仕方がないから手持ちのニューファミコンで遊んでみた
      初めからそっちで良かったんだけどね なんとなくね アドバンスでやってみたかった
      1ゲーム30分くらいでめでたくゲームオーバーになった 満足した すごく満足
      もういいやってくらい満足だ

      満足したからドンキーコングとマッピーはまだ遊んでない アドバンス持ってないし
      一緒にファミコンカラーの奴を買おうかと思っていたんだけどね 満足したからもういらないぜ

      それにしてもあれだ あの色はファミコンカラーなんかじゃない ピカピカしてるもん
      俺が知ってるファミコンの色はは古くなるとくすんだ色になる ザラついた感触の白だ
      簡単にわかる嘘は俺を知ったかぶりにさせるんだ じゃあね また今度ね

      アイスクライマーは何時になっても人気があるみたい
      でも俺は操作性が悪いだけの特に面白くないゲームだと思ってる


 投稿者:あしたば  投稿日:2003/12/20(土)12時54分56秒  ■  ★ 

      無線LAN用のアクセスポイントとNICを買いました。とても便利。でもちょっと嫌。

      例えば、取扱説明書を読みながら設定していたら、接続ツールにどこかの誰かのSSIDが
      引っかかったとします。
      そうするとログインできるか試してみたくもなったりするんじゃないでしょうか。
      で、接続ボタンを間違えて「あっ!」と押してしまいました。そうしたところ、困った
      ことにログインできてしまいました。
      それでどうやら自分の買ったメーカーのものと同じメーカーの旧式を使っている
      らしいことがIDから予想できました。それならアクセスポイントの初期設定は自分の
      それと同じかもしれません。もちろん普通に考えれば設定は変えてあるはずです。
      そうしたらまたもや間違えて「あっ!」と初期設定のアカウントが入ってしまいました。
      やっぱり困ったことに管理者でログインできてしまいました。
      そういうわけでアクセスログを見てみたら、何種類かのMACアドレスが残っていた
      ので、他にも何人かの人が外からアクセスしていたみたいでした。

      つまるところ、端末にもアクセスポイントにもパスワードが設定されていなかった
      わけで、端末の共有ディレクトリとアクセスポイントの管理者権限が丸見えの状況
      だったわけです。
      共有ディレクトリの中は、個人で複数の端末を使っている人にありがちな感じの、
      P2P共有でダウンロードしましたと書いてあるような映画とアニメのファイルが
      たくさん入っていました。
      こうなるとどうにもありがちに輪がかかりすぎているようで、これはもしやものすごく
      狭い範囲での、つまり隣家の友人通しといった程度の範囲の外部アクセス可能な無線
      ファイル共有遊びでもやっているのかしらん、とも思ったのですが、それにしたって
      こんな駄々漏れにはしないだろうし、恐らくは何にも設定していないだけなのでしょう。

      というわけで、こういうのを見ると通り一辺のことは設定したくもなるのですが、
      802.1x認証をやろうとするとRadiusサーバーの用意が必要になりそこまでお金を
      かけられないことに物足りなくなりました。だからちょっと嫌です。


 投稿者:あしたば  投稿日:2003/11/26(水)00時14分16秒  ■  ★ 

      たまにはちょろりとした他人事を書いてみるーヽ('Д'*)ノ

      勤め先の会社ではIP Messengerを使って連絡をやり取りすることが多く、仕事と
      関係ないどうでもいいメッセージを受け取ったり返信したりすることも特に珍しい
      ことではない環境なのですが、何時だったかにたまたまどこの誰とも知らない人の
      ディスプレイがちらりと目に入ってしまったところ「結局はチャンか。本当にパクッて
      ばっかだな。」とかいう感じのメッセージをご友人に送ろうとしているらしい場面を
      見かけたことがあります。
      もっとも、仕事中にIP MessengerやIRCでWeb上でよく見かける顔文字や定型句を
      大量に利用して仕事と関係のない発言を飛び交わせている場面を見ることもやっぱり
      珍しくないので、どうでもいいといやあどうでもいいことだったのですが、果たして
      彼がぁゃιぃとかあめぞうとか他のどっかにいる人なのかとかそんなことは知る由も
      ないしびた一文の興味もなく、ただただ何を就業時間中に似たような方法でサボって
      いるのかしらと思いました。

      そんな僕は会社では一切サボらずに働くことを心がけ、尚且つ毎朝の通勤電車で
      ほぼ同じ時間の同じ車両に乗っている小学生女児を見ると勃起してしまうことが
      習慣となりつつある普通のサラリーマンです。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/01/01(木)21時47分02秒  ■  ★ 

      やぁ、どうも。こんばんわ。1月1日元旦。喪中です。

      この場合、親に教えられた習慣に従えば通年お世話になった方々に対して、
      「明けましておめでとう」とはいわずに、「今年もよろしく」とだけ挨拶をするもの
      なのだろうと思っているのですが、「明けましておめでとう」をすっぱ抜いて「今年も
      よろしく」とだけいうのは虫が良すぎるように思えてしまい酷く困っています。

      「明けましておめでとう」というのは何なんだろうと考えると、別に難しく考える
      必要もなく「明けました。一年という節目の始まりですね。おめでとうございます。」
      ということでしょうし、それに続けて「小生の不肖から通年お世話になっていますが、
      本年もお付き合いのほどをよろしくお願いします。」ということなのだろうと思います。
      つまり、挨拶にも段取りというものがあって、何がどうしてどうだから、という
      ように順番があり、挨拶として成立しているのでしょう。
      そうなるとただ「今年もよろしく」とだけいうということは、「私にとっては、近親の
      者の不幸によりその都合上おめでたくないのですが、どうぞ今年もお付き合い
      いただければ幸いです。」ということになり、なんとも周囲の方にとっての新年の
      節目を無視して蹴飛ばしてしまっているような、こちらの都合を押し付けている
      ような挨拶になってしまいはするまいかと心配になってしまうわけです。

      つまり、この場合における何がどうしての部分が欠落してしまっているわけで、
      上手くまとめる方法はないものでしょうか。
      「昨年はお世話になりました。本年もよろしくお願い致します。」
      これではまるでお世話になり続けているようで、世話になっていない人に伝える分に
      釈然としないことや押し付けがましさの点で変わっていないことから却下となります。
      できれば「明けましておめでとう」という言葉のように人付き合いそのものとは他所に
      ある共有観念を並べて適当にお茶を濁した後、「今年もよろしく」と続けるのが最良でしょう。
      とはいえ、この時期の共有観念として持ち出せるものといえば、冬を示す季語に
      なってしまうように思うのですが、別に何も今更いわなくてもいいように思えます。
      そもそも「今年もよろしく」などと一言いうために、ああだらこうだら考えることなんぞ
      趣味でもなければあまりにもくだらないことでやってられっかこの阿呆が何で
      こんな面倒臭えことをうだうだ考えにゃあならんのか、ともいいたくなるわけです。
      いいたくなるどころか本当に面倒臭くなりました。やめやめ。

      そういうわけで、本年も健康に皆様が生活できますようお祈り致します。
      どうぞご自愛くださいまし。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/01/02(金)13時53分09秒  ■  ★ 

      昨年の間で言葉の中に「とか」を多用する人が多いことに気づき、気持ちが悪くなるほど
      やたらと耳や目につくようになった。
      てっきり、これは小さな範囲での方言のようなものなのかと思っていたのだが、どうやら
      そうではないらしく、テレビやラジオというメディアにおいても多用されている。
      テレビやラジオをじっとして視聴するということが殆どない質なので、意識を始めたその
      時まで気がつかなかったのだが、意識してみれば驚くほどの乱用である。
      正確には気がついてしまったことから、「とか」という言葉が意識的に耳につくようになった
      だけで、この状況自体は以前から何も変わっていないのかもしれないが。

      この「とか」という言葉はとにかく便利な言葉で、自分もおもしろ半分に意識しながら多用
      していたことがある。今となって他人の言葉として耳につくようになったということは、
      恐らく以前の自分も相手にずいぶんと違和感を持たせていたのかもしれず少し申し訳ない
      気持ちにすらなってしまう。
      思うに「とか」という語尾をつけることで得られる最も大きい効果として、1つの親となる
      定義や可能性の中に、複数の子となる定義や可能性が包括されている場合、親に属する
      1つの子を代表例として挙げることですべての子の種類を省略することができることがある。
      これはたいへんに便利な効果で、それこそこの言葉を使用する一番の理由であると考えら
      れるのだが、どうやら自分の嫌っているこの言葉につきまとう否らしい感覚、この言葉が
      でるたびに耳につくようになった理由はそれとは別にあるようだ。

      つまり、複数を省略するために1つの言葉へ「とか」をつけて他の定義や可能性を省略できて
      しまうということは、多くの中の1つしか定義を知らなかったり可能性を思いつくことが
      できなかったりしたとしても、それだけでごまかすことができてしまうということでも
      あり、むしろそちらの理由のほうが大きくなってしまっているように邪推できてしまう
      ことが耳につくようになった理由なのであろう。
      とりあえず「とか」といっておけば、それだけで発言の意味をぼかして煙に撒いてしまえる
      ので、邪推の立場からの見解でいってしまえば発想の貧困や知識の不足をごまかしている
      だけの自己弁護に過ぎないくせに、良く考えた場合の言葉の効力であるその言葉に含まれて
      いる内容以外の多用性を持っているような、発言の可能性を会話の相手に渡してしまう
      ことでとても意味深なことをいっているような気分を使用した人間に与えてしまうことが
      原因なのだろう。兎に角、便利であるために多用しているうちに使用しないことができなく
      なってしまう中毒性のある言葉であったようだ。
      更にいうならば、可能性のぼかしを乗り越えて、物事の決定を下す際の断言であるにも
      関わらず、「とか」をつけてしまっている場面に直面したときの物悲しさといったら酷いもの
      であり、本心としては「とか」を使用することで多用性を表現しようとしているわけでは
      ないことがわかっているとしても、何ともまあ情けのない言葉の使い方であるように思えて
      しまう。すでに可能性がないのにも関わらず「〜とか」、2つしかパターンがないのに「〜や
      〜」ではなく「〜とか〜とか」。「や」、「など」といった言葉なんぞ知らぬ存ぜぬと主張するかの
      如く「とか」がでてくる。
      もちろん意識して使用してますよ、といいたげに使用している方も多数おられるが、所詮の
      ところ意識して乱用しているつもりになっているだけであり、外部の影響を受けるだけ受けて
      流行に乗っているつもりになっていること自体が流行に流されているということなので
      大差なんぞありゃあしない。それもこれも「とか」を使用してはいけないというわけではない
      からこその乱用であり、収拾がつこうはずもないとくる。これに比べれば、意識しての乱用が
      蔓延った結果に過ぎない一時的な流行語なんて可愛いもんであろう。

      以来、自分もよく使う言葉であると自覚があるので、本当に自分の中で省略することの
      できると考えられること以外にはなるべく使わないように自嘲しているのだが、これが
      また難しいもので習慣化してしまっている感も否めずに困っている。
      顔文字を使ったWeb上の会話と同じで、1つの便利な方法、便利であるように錯覚してしまう
      方法、この場合であるのならば本来発した言葉のみが与える印象の可能性をぼかす方法に
      依存してしまうと、意識して抜け出そうとしない限りはその方法に捕まってしまうという
      のはとてもありがちな事であり、注意を怠れば気がつかないうちに閉じ込められてしまって
      いるのが通例でなんともまあ便利なのか面倒なのか。
      言葉そのものが不治の病なのだとすれば、こういった局所的な依存も軽度の悪化症状と
      いえるはずで、恐らくは想像できないほどの大量の他の檻に捕まっているのだろう。
      こういった症状を総称して野暮というのならば、野暮でなくなることは初めからできない
      ことなのだろうね。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/01/17(土)20時04分02秒 ■  ★ 

      とうとうVirtualAvenueのアカウントが消されてしまいました。
      突然、苦楽を共にした親友が交通事故で死んでしまったときのような感触とでも
      いうのでしょうか。悲しいことに別れは唐突にやってくるもので、「あぁそうか、
      もう君とは会うことができないんだな、以前のように二人で同じ釜の飯を喰うこと
      もできないんだな、寂しい、でもいつまでも悲しみに暮れている訳にはいかない、
      僕には目標があってそれを達成するために頑張らなくちゃいけないんだ、君のこと
      は忘れない、これから何かあるごとにきっと君のことを思い出すよ、じゃあね、
      ばいばい。」

      と、このような感じで悲しい思いに打ちひしがれる間合いがあるのかとシュミレート
      までしていたのに、気がついてみれば親友は死んじゃってて葬式も終わってて何だ
      かんだがあった後に、特に仲のよくなかった奴から「えっ、あんなに仲がよかったくせ
      に知らなかったの?お前って本当に薄情な奴だなー」とでもいわれた気分です。
      ヤリ逃げするつもりが妊娠させてしまった上に、勝手に実家の住所を調べられた挙句、
      両親に挨拶に行かれてしまったときの男性も似たような気分なのでしょうか。
      思いつきで適当なことを書けば、例え話のように繕えると思うなよといいたくなる
      ほどです。

      とはいえ、付き合いといっても2000年5月からなので3年と数ヶ月といったところ
      でした。親友というには浅いような深いような、それこそ時間の尺度で測るのも
      無粋というものなのでしょうが、設置当初の使用目的であったニュース中毒状態での
      ニュースリンク貼り出しも今となっては青春の思い出ですし、はっきりいって
      ニュースを読み過ぎてノイローゼになるなんてことはもうやりたいと思いません。
      ただの嫌な思い出です。考え始めると嫌な思い出の方がたくさん出てきそうなので、
      死人に鞭を打ち始める前に考えないことにしたほうがよさそうです。
      鞭の代わりに飴を出しておくと、VirtualAvenueは広告を掲示板の一番上に出さなくて
      いいというところは大好きでした。これは本当です。

      しかし、こうなると消される前に引越し先のことを考えておけば良かったのですが、
      生憎と何も考えていなかったのでまだ引っ越す先がありません。引越し先が見つかり
      次第、掲示板を設置して今までどおりだらだらとやるつもりなのですが、もう思い
      出せないほど前から、たまに何か思いついたときにだけ投稿していたのだし、手動
      本店を見習ってこのままHTMLで書いてこのページに出していけばいいかなー、とも
      思ってます。そうなったらそうなったで自分しか投稿できなくなってしまうのもなん
      ですし、滅多にいないとは思いますが投稿したい人は投稿したいことをメールで
      送ってください。
      引越し先が見つかるまでの間、責任は持ちませんがきちんと書き足すつもりです。
      もちろん、一目で嫌がらせだと思うものは無視します。
      ちなみにsofthome.netのメールアカウントなのですが、送られてくるはずのメールが
      届かないこともしばしばあったので送っても届かない可能性があります。同様に
      そちらのほうの責任ももてませんのでご了承ください。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/01/26(月)20時35分45秒 ■  ★ 

      CCNA受けてきた。落ちた。落ちまくったぁぁsかtじゅえそあrtりえお。
      configのシュミレート問題で一度configを開始すると設定前の状態図が参照できなく
      なるという問題の不親切さに目の前が暗くなるわ、参照するための方法があるとすれば
      調べておかなかったことを悔やむしかないわで、蚤の心臓が揺すぶられまくった挙句、
      ずるずるとやっちまいました。
      まぁ用心しない手前が悪いわけなのだが、そうはいっても悪い悪いというだけなら
      タダでもありましょうがさ、15500円はきちんと支払わなくてはなりません。ならないの
      です。ヤギに食われたとなんて思ってやらないさ。つうか、札じゃなきゃヤギ食えない
      じゃん。金をなくしたような気分の時にヤギに食われたなんていっている奴はバカだ。
      例えになっていない例え話なんて大したことがない自分のことを偉そうに語る奴くらい
      糞食らえだってことに気づきやがれ。baーka。

      と、いうわけで、反省点なのですが、勉強の面で参考書の模擬試験にばかり熱中して
      configの実践を明らかに疎かにしていたことがあげられます。
      だって、試験だとコマンドをtabで補うことできないの知らなかったし。大雑把にあって
      ればいいみたいだけど、大雑把にでも覚えるのがめんどくさいからtab使うんじゃないのかね。
      そんなんだったらおとなしくコマンド覚えるがな。いや、覚えろという話なんだろうが。
      まったく資格試験って奴はお堅い奴だよ。だから彼女できねぇんだよ。ごめん。ごめんなさい。
      童貞にいわれたくないよね。ほんますんません。許してくれなくていいです。

      あと、問題の傾向について思ったことなのですが、保守義務に従って公開しません。
      堅い試験に望む以上自分も堅くならないといけないの思うので。嘘ですが。
      ただいえることについては、去年の12月末日から試験番号が640-801に変わったけども、
      そんなことは気にしなくていいと思う。そんな感じ。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/02/01(日)20時56分43秒 ■  ★ 

      なんでもそうだろうけど、何かを考えるにしても誰かと何かを話すにしても何かが
      必要になるわけで、その何かがテーマといわれるものなわけですが、それを決めるのが
      案外に難しい。
      何でこんなことを書いているのかというと、「何かについて考えてみようかな」と思った
      ときに必ずぶつかる「じゃあ何について考えようか」、という問題が直面しているからで、
      大概の場合はこういう風に始まった考えってまとまりもしないし然して面白いものでも
      ないことが多いからなのです。
      とはいえ、じゃあテーマがあれば何でもいいのか、そのテーマが誰かが用意したテーマで
      あるか自分で見つけたテーマであるかという差分の生じる場合はどうなのかというと、
      もちろんそれによって興味の問題もやる気の尺度も影響がでてくるだろうけど、この場合
      はとりあえず何かしら考えたいという場合なので、テーマがあって考えたくない場合と
      テーマがなくて尚且つ考えたくない場合は無視しているから、どんなテーマでもないより
      はあった方がいい。
      何にせよ、考えるテーマが決まっていれば、もう後はそれについて考えればいいわけで
      手間がかからないぶん楽だよなあ、とそういう感じなわけです。

      前置きをダラダラ書いてしまったけど、要するにネタがないわけでネタがなくても何かを
      考えてみたくなったから、テーマがないことをテーマにしようということです。
      既に使い古されているテーマだろうけど、そんなことはこの際無視。だって、テーマが
      なくて困ってるんだから仕方ないじゃん。

      というわけで、テーマなのだけど、まずテーマを当てはめるべきターゲットを定めないと
      いけないでしょう。例えば本のことをテーマにするにしても、どんな本をテーマにするか
      を決めないといけないし、本の内容を決めたとして、今度はその内容に対してどれくらい
      の範囲の人がわかるテーマにするかを決めないといけない。
      そうじゃないと、ものすごく専門的なこととものすごく入門的なことが入り混じってしまう
      可能性が出て、どのような誰に宛てているものなのかがわからなくなってしまいます。
      専門的な表現を突き詰めてもっと専門的なことにまとめるのか、入門的な表現をうまく
      使って一段上の理解につなげようとするのかというように、一定ラインの表現にまとめると
      既にわかっている人にもわかっていない人にもどういうレベルの内容なのかがわかりやすく
      なります。内容がわかるかどうかの前に、どういった層をターゲットにしているのかを
      わかりやすくわけです。
      例えば、少年が川原で拾ったエロ本やエロ漫画から始まり、ギルガメッシュナイトのような
      半エロ番組、AV女優のエロビデオ、特殊な性癖のエロ媒体を通して、終いには限定の要素に
      対して独特の性的な興奮を作り上げるように、何事にも順番があるのでやっぱり客層を
      はっきりするべきなのです。生まれついて何の外的要因もなしにいきなりロリコン、ペド
      フェリア、スカトロジーなどから始まるというのは稀でしょうし、逆手に取ればそういった
      極一部を対象とするよりは順序を踏まえた不特定多数を分類してターゲットを絞らないと
      うだつの上がらない商売になりかねません。

      このことから内容によっては、知らない人や興味のない人にはまったくわからなくても
      構わないわけで、まったくわからない状態から読んでもわからない内容であることさえ
      はっきりと伝わればよいのです。中途半端にわかるように書いてしまうことの方が、
      わかるようなわからないような印象につながるだろうし、万が一に運が良くても何かしら
      のきっかけにしかなりません。
      意図的にわかるようなわからないようなことをテーマにしているというのであれば構わない
      だろうけど、どうやっても極一部しか対象にならないような個人の日記やプロフィールの
      公開との大差を現すには難しいテーマになってしまいます。何でも構わないというテーマは
      始めるのと継続することが簡単でも、きり良く終わらせることが難しくなってしまうので
      ツケが後にまわるだけなのです。

      要するに、少女好きは少女好き同士仲良くしようよ、おっと君は少女好きではなくて幼女
      好きのようだね、君のお仲間は向こうにいるみたいだよ、あ、ごめん間違えた、そっちは
      死体好きだった、とそういうわけです。仲良きことは美しきかな。

      こんな感じにテーマを決めておけば後々が楽だし、何かしらを決めておきたいようにも
      思います。それでも特にテーマにしたいこともないという状況はまぁ禄でもないというべき
      でしょう。思いつきなんてのはテーマになってないテーマだし。きりがないのが思いつき
      だと割り切るのも一つのテーマには違いないんだけどなんとも。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/04/20(火)00時34分32秒  ■  ★ 

      http://www.s-boss.com

      携帯電話の調子が悪くなったのでボス電のキャンペーンを興味を持って、何度か
      抽選用のゲームをやっていたら、偶然バグらしきものを見つけた。
      いい加減5回目くらいの応募で嫌気も指していたし、仮に当たったとしてズルを
      したことがばれても良いような気がしていたので、憂さ晴らしに1時間くらい
      ぶっ続けて抽選のゲームをやってみたのだけど、これがどうしてちっとも当たらない。
      もしも、自分の見つけた方法だと当たらないように設定されているんだっていうの
      なら兎も角、そういう訳じゃないのならまともにやっている人は可哀想なくらいの
      確立の悪さだと思う。
      ちゃんと数えてなかったけど、50回くらいはやったような気がするし。

      そんなわけで、きちんと設定されているわけでなしにこの確立なのならば、Webからの
      応募はとても分が悪いように思います。
      もしWebからボス電を当てようとしている人がいたとなら、時間が勿体無いので
      諦めた方がいいかもしれないですよ。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/04/11(日)22時35分30秒  ■  ★ 

      英語である。多くの人が学生の頃に勉強していたか、もしくはさせられていたあれだ。
      他の科目に比べてテストの時には選択問題がたくさん出題されることをお日様に
      お祈りしたり、教科書の文章をそのまま覚えてしまうことで赤点を免れていた人も
      多かろうあの教科である。

      とまあ、少なからず自分は祈ることだけは達者であったくせに、理解するための
      勉強はせず感だけで回答する類の学生であったのだが、なにやら最近思いつきで
      勉強をやり直すことにした。
      あくまでやり直しなので、外国語の勉強が主ではない方面の学生の頃の延長で
      あり、話す英語ではなく読む英語であり、学生の頃の教科書にある文法の説明を
      読みながら辞書を小脇に抱えているといった感じだ。しかし、それが中々どうして
      面白いような気がしてきている。

      とはいえ、教科書の勉強ばかりでは面白くないし、繋がりのない問題用の一言を
      訳して読んでいるのもなんなので、神保町に出かけて洋書の児童小説らしきものを
      買ってみた。
      買った手前、読もうとしてみたのだが、酷いもので3ページ読むのに数時間かかった。
      おまけに殆ど意味がわからない。教科書の勉強を足がかりにすれば、少しくらいは
      理解できるだろうと妙な期待があったためなのか少しばかりがっかりした。
      辞書を使わないと訳すことができない現状の能力にがっかりするほど自惚れてはい
      ないつもりではあったが、辞書を使って英語を日本語に置き換えても、それを文章
      として理解することができなかったことが最たる理由なのだろう。
      それでも少し楽しい気持ちになれたのは、初めて小説という奴を読んでみようと
      思い、読んでみたら何をいっているのかがさっぱりわからなくて文字を追うことに
      躍起になっていたときに似ているように思えたことだった。

      辞書を使って日本語へ変換しても、文の中にある雰囲気がつかめないことには理解
      ができないだろう。恐らくはそれがコツという奴なのだろうが、どうしたらそれを
      思い浮かべることができるのか。
      ヒントとなりそうな考えがあるとすれば、日本語の文章から雰囲気をつかもうと
      していたときのことなのだろう。その時は何を考えていたのだったか。しばらくは
      続けるつもりでいるのだが、さて。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/03/07(日)02時27分38秒  ■  ★ 

      喫茶店でお茶を飲んでいたときのこと。近くの席の人がMacromediaのFlashコンテンツの
      作成をしている人のことをフラッシャーというのだ、と連呼していたので強制的に耳に
      入ってきた。
      本当のようでもあるけど、どちらかといえば嘘の割合の方が多いような、っていうか、
      今時の若者が使う造語にしてもチョ→ダサいって感じ?みたいな?と思わずにはいられ
      なかったので半ば信じてはいなかったのだが、調べてみたら本当に使われている職種の
      名前であったらしい。

      「僕、大きくなったらフラッシャーになるんだ。」
      「まぁ、隣の息子さんってば大学を卒業してフラッシャーになったらしいわよ。」
      「貴方は以前に勤めていた会社でフラッシャーとして働いていたようですが、異なる職種
      である我が社を志望した理由をお聞かせください。」
      「フラッシャーになったおかげで人生が変わりました!以前は貧乏でモテなかった僕が、ギャン
      ブルで負け知らず、おまけに以前から好きだった女の子に告白されてウハウハの毎日です!」
      「ドラえもーん、フラッシャーになれるひみつ道具をだしてよーぅ。」

      不思議なことに本当に使われている言葉の割には、どう使ってもしっくりこないという
      か、得体のしれないもののように思えてならないのはどうしたことなのか。もっと詳しく
      例えるとこういう感じだろう。

      「お父さん、友達を紹介したいのだけど・・・」
      「ほう、お前も遂に彼氏ができたのか、そうか。はっはっは。行き遅れないように頑張るんだぞ。」
      「なによ。こういうことをいうのが初めてだからって、そんなこといわないでもいいじゃない。酷いわ。」
      「はっは。悪い悪い。ところでどんな仕事をしている人なんだい?」
      「良かった。うん。彼はね、フラッシャーをしているのよ。すごいでしょう。」
      「ん?」

      困ったお父さん。フラッシャー。なんだそれ?仕事がフラッシャー。似た言葉だとフラッ
      シュって光るという意味の英語だったよな。光る人?子供の見るヒーローものの宇宙刑事
      とかそういう奴のことか?俺の子供の頃のヒーローといえば白馬童子や月光仮面だった
      ものだが、いつの間にあんな風になってしまったんだろうな。いやいや、何を馬鹿な。
      聴き間違えだろうか。

      「よく聞き取れなかったのだけど、もう一度いいかい?仕事はなんだったかな?」
      「あぁ、うん。フラッシャーよ。実は彼とは数年前から・・・」

      やはりフラッシャーであるらしい。聞き間違えではなかったようだ。しかし、そんな職種
      があるのか。流石に横文字の職種があることを珍しいとは思わないけれど、フラッシャー
      とは始めて聞いた。何をする仕事なんだろう?よくわからんが、さっきすごいともいって
      いたし、すごい仕事なのかもしれぬ。もしや、如何わしい仕事ではあるまいな・・・。
      でも、如何わしい仕事であればすごいとは言わないか。でも、あれだよな。どう考えても
      変な名前だ。

      「・・・なのよ。ねぇ、お父さんってば。聞いてるの?」
      「・・・あぁ。いや、うん。やっぱりどう考えても変だと思うぞ。」
      「え?何が?」

      思いつきで茶番劇じみたものが浮かんできたが、こういうことだってあってもおかしくは
      あるまい。何せ職種の名前だけ聞いてもどのような仕事なのか予想できる情報が少なく、
      何をする仕事なのかピンとこないのだから仕方がない。しかし、本当にフラッシャーと
      いう職種があるとなると、変な名前だと思う自分のほうが無知からでた偏見を振りかざ
      しているようで、どう考えても格好良くはないし何より語感が変だ、と頑なに主張し続ける
      のもよろしくなかろう。

      では、このような考えが起こらぬよう防止するためにはどうすればいいかを考えると、
      職種の名前にもっと予想の足がかりになる情報を含めればよろしい。その上で格好良け
      れば尚のこと良いはずだ。
      とはいえ、一から十まで説明するのが良いとは限らないし、この場合であれば最悪何と
      なくパソコンをポチポチいじる仕事であることがわかる名前であればいいのかもしれない。
      大雑把な印象で片付けるのであれば、コンピュータ関係だといってしまえばよい。
      でも、それだとフラッシュコンテンツを作っていることが伝わらないので面白くない。
      よって、これは妥協点を最低にした場合に限らなければならない。これでもわからない
      可能性のある人であれば、面倒臭いので会社員だといってかたをつけてしまっていいだろう。

      では、フラッシュコンテンツを作る人なのだから、和名であればフラッシュコンテンツ
      作成者かリッチコンテンツ作成者、横文字でいいたければ作成者をクリエイターだのデザ
      イナーに置き換えればだろう。元々はこのような雰囲気の造語紛いであったはずだろうに、
      それを省略したものだからフラッシャーなんぞという言葉になったのかもしれぬ。
      おとなしく略さなければよかっただろうに面倒なことをしてくれたものだ。

      次は予想ではなくフラッシュに関わる限定の職種であるとは限らない既存の言葉をあて
      はめて考えてみよう。
      仕事の内容を軸にして職種名を想定するのであれば、フラッシュのコンテンツ作成である
      以上、デザインかプログラム担当であろうことが予想できるので、Webデザイナーもしくは
      プログラマーであるともいえる。
      Webデザイナーと聞けば何がしかをデザインする仕事であるらしいと予想できるし、プロ
      グラマーといえば何がしかのソフトウェアを作る人、もっと大雑把な印象ではコンピュータ
      関係の有象無象だと予想してもらえると期待できる。本当だろうか?実はプログラマーと
      いう言葉だって予想しづらい職種には違いあるまい。
      プログラムする人だからプログラマーというのであれば、プログラムとは何をプログラム
      することなのかがわからないのだから。それを考えるとあながちフラッシャーというのも
      ありなのではないだろうか。このまま流されてしまえば、散々ダサいと思ったフラッシャー
      という言葉がそれなりのもののように思えてくる。
      何でもかんでも語尾を延ばせばそれっぽく聞こえるような気がするのも間抜けな話だけど、
      和製英語なんてそんなものだし、名前の付け方にそういう風潮があるのだから仕方ない。
      つまりあれだ。フラッシャーでいいのかもしれないような気がしてきた。あまりに極所的
      な印象は変わりないが、どうしても略語化しようとするのならば他にいいようがないのだから。
      無理にわかりずらいとわかっている略語を振り回すことは、事あるごとに辞書で調べた
      淫語を連呼する男子小中学生と大して変わりがないというのを踏まえた上で、そういう
      のをみっともないと思うのであれば使わない方が良いというだけの話だ。
      個人的には、Webデザインに限ったフラッシュコンテンツの作成であるのならば、Webデザ
      イナーといってくれたほうがわかりやすいし何となく格好良い。仕事の実状がどうであろう
      と職種の名前をちょっと耳に挟むだけなら、違和感さえ覚えなければそれでいいんじゃないか。

      というわけで、こういう風潮が進んでいくことにより将来的には略語を更に略語化する
      ことが流行るんじゃないかと予想している。もしもそれが繰り返されればいつかは口から
      出る言葉が限りなく少なくなり、最終的に失語症紛いの会話を当然のようにする日本人が
      現れるようになるかもしれない。
      まあ仮になったとしても、新種の方言のようなものだから大きな害になるということも
      なかろうが、関与のない人間には面倒なことに違いない。
      このような一部に限定のルールが派生し続けることにはきりのないことであろうし、いつかは
      これに対する歯止めが必要になるのではなかろうかと予想の上に予想する。


 投稿者:あしたば  投稿日:2004/05/08(土)20時20分04秒  ■  ★ 

      便所に行って用を足した後、手を洗う。たまに面倒で洗わないときもあるけど、後ろ髪を
      惹かれる。他人にしてもそうで、大抵の場合は手を洗っているほうを見かける。
      また、手を洗わない人であっても、全ての人がいつも手を洗わないと心に誓っているわけ
      ではなかろうし、おそらくは手を洗うべきか洗うまいかの葛藤が生じているに違いない。

      便所で用を足して手を洗うという行動はどこに起因しているのだろうか。
      男であれば小便をするときに多くの場合、男性器の位置を調整して便が発射される位置を
      定めるからであろうか。
      よく知らぬから思いつきであるが、男性器を触ることでばい菌のようなものがいっぱい手に
      ついてしまっているだろうことから手を洗うのだろうか。
      もしそうなのであれば、大便をするときはズボンを下ろしてしゃがむだけであるのだから、
      手を洗う必要はないということになるのではないのか。
      便所で用を足した後に手を洗う以上、大便であろうが小便であろうが関係のない共通の理由が
      存在しなければならない。もしくは大便には大便の、小便には小便にとっての、独立した
      手を洗わねばならないような理由が存在する必要がある。
      そうでなければ、手を洗うという行動自体には意味がないことになってしまい、ただ周囲が
      手を洗っているからそうしているというだけのことになってしまう。
      子供の頃を思い出してみても、外から帰ってきたら手を洗いましょうと教えられた覚えは
      あるが、便所で用を足したら手を洗いましょうと教えられたことがあっただろうか?
      覚えていないだけなのかもしれないが、少なからず自分は教えられていないような気がする。
      ただ右を向いているだけであるのなら、別段手を洗わなくても良いのだからその行動に
      対して不潔であるといわれることにこそ問題があるといえる。自称常識人にケチをつけられる
      のはこの世の通例であるとはいえ、それに我慢できるのも時と場合だ。機嫌の悪いときに
      起こる余計なことに対して用意をしておくことこそ、もしもの時の備えといえる。
      もしもという言葉に該当するものを地震や災害に限定するのはナンセンスの極みであり、
      我々は思いつく限りの可能性に対して対策を講じることができる。あるともないともつかぬ
      可能性について考えておくことは、現実と夢の間に当たる位置を思い描くようなものだ。
      せっかくそういうことが楽しめるのであれば楽しんだって構うまい。

      では、根源ともいえる便所を使った後に手を洗う理由について考えてみよう。
      俺は男に生まれた手前、女性の排泄についてはわからない。女性用の便所で用を足すことは
      できても、女性のように用を足すことはできない。仮に目の前でやり方を教えてもらうことが
      できたとしても、性器の形が違うのだから真似をしようにもできはしない。
      というわけで、完全に男性の観点で状況を想定する。小便であれば、男性器を触って位置を
      調整する。この時点で手を洗うには一角の条件を達することができているといえる。性器を
      触った手で食事したいかどうかは人の好みによるであろうが、好みの分かれるきっかけには
      なりえる。
      どこまでを気にしないでいられるかの可能性が付属する行動により多様化しているだけで
      あり、どちら様でも手を洗いたくなったら手を洗うとただそれだけのことだ。

      続いて大便である。ズボンと下着を下ろしてしゃがむ。用を足す。尻を拭く。
      小便に比べればあまり手を洗わなければならない要因は見当たらない。唯一、尻を拭くという
      段階が気にかかるといえば気にかかる箇所であろう。大便においてはこの要因こそが気分を
      左右する最たる可能性の分岐点といえる。
      また、大便といえば匂いだ。匂いがするということはその匂いの元である物質の成分が
      嗅覚に接触しているからだ、という話は多くの人が聞いたことのあるものであろう。
      つまり、排泄物の匂いのする位置にいるということは排泄物の成分が鼻の中、牽いては、
      身体中に付着しているということになるということである。
      しかして、そこまでいうのならば手を洗うという一部に限定した行動への理由にはならない
      し、むしろそんな理由で手を洗うというのであれば、手だけではなく体を洗って対処する
      べきであることにも気がついているはずではないか。
      一部を洗ったから清潔であるという発想であれば、そんなものは屁理屈にもなりえまい。
      清潔だというのであれば自分に嘘偽りがないことを自覚できるまで徹底するべきだ。妥協
      するのであれば、妥協していることを認識するべきだ。

      随分と否定気味に考えてきたがそろそろ気が変わってきた。今度は肯定してみよう。
      やっぱり手は洗ったほうが良い。何より用を足したとかそんなことはどうでもよくて、手を
      洗うと気持ちが良い。汗や油が落ちて締まった手応えになる。
      便所で用を足したから手を洗うというのではなく、便所に来たというきっかけが大切なのだ。
      そこにあるきっかけを生かそうとして何が悪い。気に食わぬきっかけではなく、好みの
      きっかけであるのならば結構なことだ。

      では、多くの人で道具を共有している場合を考えてみるとどうか。もしも便所で手を洗わぬ
      人と同じ道具を使っているとしたらどうであろう。自分のことを棚にあげる事は日常茶飯事
      となり意識することすら忘れていても、他人のことを棚にあげるには心持の切替が必要になる。
      否定に寄っている他人事であればこその心境といえようが、悲しいかなそういったこと
      こそ意識に染み付き易い。
      自分が手を洗っているのだから他人にも手を洗えと強要するのは無粋かもしれぬが、道具を
      共有する以上、汚いよりはきれいにしてくれたほうが嬉しい。
      そう思っている人に限って便所で葛藤しているのだから不思議なもので、気にしていない
      人は洗おうが洗うまいがどこ吹く風だ。いっそのこと気にならなければ楽なのに、あらゆる
      場面を気にかけてしまう人はかけたくなくてもかかってしまうので大変なことだと思う。

      とどのつまり最も短絡的な解決法としては手を洗ってしまえばいいようだ。他人が手を
      洗うかどうかなんか気にしたって仕方のないことで、終いにはやっぱり自分だけの問題
      なのである。
      これを踏まえ、続けて考えるべくは手を洗うことに対して、なぜ面倒だと思い、尚且つ、
      面倒であると認識した上で手を洗わぬことに葛藤するのかという観点になる。
      簡単にまとめれば、行動はどの位置で面倒だと思わせる要素が派生するのかということ
      なのだろう。でも、それはまたいつか気になったときに考えればいいことなので続けない。
      気持ちなんてのはどこ吹く風だ。キーボードを叩いていたせいで手が汗ばんでいるけど、
      別段、今は手を洗いたいとは思わない。



     @出来事 その1 その2 その3 その4 その5 その6
     その7 その8 その9 その11 会員制新田 L(´ー`)」


あやしいわーるど@出来事 からの転載をまとめたものです。


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