ダーザイン・ウオッチング(その10)


>    投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/02(火)15時54分08秒   ■   ★   ◆ 

      > お前は芸術になんて全く触れたことないんじゃないのか
      > 真の芸術家は一生涯同じ事を書き続ける

       語彙の乏しさ、表現力の稚拙さといった底の浅さを指摘されているのに、芸
      術家がその生涯で見出だすテーマとしての「同じこと」と、語彙の少ないエセ
      詩人が馬鹿のひとつおぼえでくりかえす「同じことば」を混同するのはどうか
      と思われる。

       リルケなんかはロダンに師事することで、自身が対象と化すほど対象に観入
      した造形的な詩の文体を生みだした。これは「事物詩(物象詩)」と呼ばれて
      いる。比喩という粘土で肉付けをすることで対象を捉え、その対象が単なる事
      物にとどまらずに、ダイナミックに詩の空間を開示していく技法を、リルケは
      ロダンやセザンヌなど異なる芸術形式の作品から見出だしていった。この文体
      こそが、のちの「世界内在空間」というリルケのテーマを生みだしていくこと
      になり、ドイツ語の近代詩を確立したと言われる所以であり、そのダイナミッ
      クな詩の空間の開示は現代詩の先駆とも言えるわけだ。

       前回の講義でも扱ったニーチェが神の死を宣言したように、絶対的な真理は
      解体され、相対的真理を共有することになった近代において、リルケは、怖る
      べきものの始めにほかならぬ生は、微塵に砕かれる死を孕んでいる、そのよう
      な生と死が同居するところの両義性の天使を創造した。その天使にならって死
      を生の中で愛さなくてはならない、つまり死を了解しなくてはならない、死を
      愛する魂こそが死を超越するのであり、「鳥たちがわれらを貫き、静かに飛ぶ、
      成長しようとする私が外を見やると、おお、私の中に木が生い立つ」ところの、
      無限の純粋な可能である「世界内在空間」を獲得することができる、それは開
      放的な魂の肯定である、まあごく単純に言うとそういったような実存的テーマ
      をリルケは晩年の「ドゥイノの悲歌」や「オルフォイスに寄せるソネット」で
      扱ったわけだ。

       まあようするに、リルケもロダン論で書いているとおり芸術とは「観察」と
      「職人的な仕事」との累積から生まれるわけだ。「見ること」、これをリルケ
      はくりかえしていた。ロダンの彫刻の肉付けの作業が、リルケの文体に大きな
      影響を与えたことは否めないであろうし、それはまさにことばを追い求める詩
      人の姿であった。君たちの中には、文体というとすぐに、ロシア・フォルマリ
      ズムに対する蔑称としての単なる形式主義や、マラルメのような象徴主義者た
      ちを想起する者もいるかもしれないが、まあそのへんは次の機会にやるとしよ
      うか。


      これを聴講した学生のノートからの抜粋

      ダーザイン→気が触れて同じことばで書き続ける→馬鹿の一つ憶え→無職のオッサン
      真の芸術家→無が触れて同じことを書き続ける→ドゥイノの悲歌に至る→天才


      その後提出されたレポートからの抜粋

      「何が触れるかによって、ずいぶん違うものだなあと思いました。」


>宇多田レイパー   投稿者:ダーザイン   投稿日:2001/10/02(火)23時54分59秒   ■   ★   ◆ 

          Λ  Λ 
       ンムハァ(;`Д´)つまらん。
       文学部生のレポートなら「可」だな。四捨五入すれば30にもなろうというオッサン
      がいまさら「可」などとってうれしいか、くだらない。貴殿の芸術理解はいつも浅
      い。所詮は評論家でしかないとはいえ文学に携わる者のつもりなら芸術家の持つ想
      像力の深部へとおりてみたまえよ。まあ、貴殿には無理な話だろうがな。ハイデガ
      ーの「乏しき時代の詩人」(リルケ論・解りやすいし面白いから読んでないヤシは読む
      べき)でお勉強したようだが、詩の言葉が生まれる所、詩人の魂にはまったく届い
      ていません。
       リルケがいうところの「開かれた世界」だの「世界内在空間」だのといったものが
      実はどんなにイカレたものか、ヘルダーリンやハイデガーのそこへ向かう「帰郷」が
      どんなに病的なものか、妄想像力の欠片もない評論家風情にはわかるまいよ。
       この間抜けが漏れの詩を読んでいるとは思えないし、そもそも誰の詩もろくに読
      んでいないからこんな恥ずかしいことを公衆の面前で平気で書き散らすのだろう。
      ためしにドイツ表現主義最大の詩人ゲオルグ・トラークルの生涯に書いた詩をすべて読んで
      みろ(中村なんとかいうポエジーの欠片もない馬鹿女の訳は酷いから詩人飯吉光雄
      の訳で読めよ)。トラークルは漏れも崇敬する偉大な存在論的詩考の壮徒だが、一生同じ
      事しか書いてない。スタイルの変化も語嚢も俺より少ないぐらいだ。が、彼は凡百
      の宇多田のような文体厨がどのように小手先で言語をこねくっても決して届くこと
      のできない存在の歴運の中に身を置き、代償として青い狂気の炎で身を焼いたの
      だ。宇多田のごとき似非評論家が安全な女の股の間に隠れてこそこそ駄文を書き散
      らしている時に、真の芸術家は真空に触れているのだよ、かす。

       宇多田いわく「芸術とは「観察」と「職人的な仕事」との累積から生まれる。」
      馬鹿ですかあんたは?基本的な言語のデッサン力は必要だが、そんなものを幾ら磨
      いても決して芸術には届きませんよ。お前には職人の仕事と芸術が同じモノに見え
      るようだが、そのへんはハイデガーの技術論でも踏まえていっているならまだし
      も、イマジネィションの欠片もない者が単に無才な自らを芸術家だと思いたいが為
      に言っているのだから情けない。
       何か貴殿はイマジネイションとポエジーを持った芸術家に激しいコンプレックス
      を持っているようだが、あまり激しく罵って自殺されても困るので最後に一言付け
      加えておこう。才能とは天与の物ではない。ポエジーであってすら、職人芸のよう
      に少しずつ獲得していくことができる部分があるのだ。芸術家になりたいのなら、
      猿にオナニーを憶えさしたがごとく文体ばかり磨いていないで詩を創造してみたま
      えよ、かす。
      http://morishige.virtualave.net/cgi-bin/files/misha3_321.xxx
      http://morishige.virtualave.net/cgi-bin/files/misha3_330.xxx
      暇つぶしに書いた妄想駄文だが、開かれた世界だの世界内在空間だのといったもの
      を呪現する存在論的欲求がどんなに病的なものかが解るだろう。モ前もポエジーに
      届きたいのなら、愚にもつかない糞のような駄文ばかり書き散らしていないで、精
      進してキ違ってみろ。


>ダーザイン   投稿者:    投稿日:2001/10/03(水)01時30分38秒   ■   ★   ◆ 

      >  宇多田いわく「芸術とは「観察」と「職人的な仕事」との累積から生まれる。」
      > 馬鹿ですかあんたは?基本的な言語のデッサン力は必要だが、そんなものを幾ら磨
      > いても決して芸術には届きませんよ。お前には職人の仕事と芸術が同じモノに見え
      > るようだが、そのへんはハイデガーの技術論でも踏まえていっているならまだし
      > も、イマジネィションの欠片もない者が単に無才な自らを芸術家だと思いたいが為
      > に言っているのだから情けない。

      ----------------ここで第二人格に交代?-----------------

      > 才能とは天与の物ではない。ポエジーであってすら、職人芸のよう
      > に少しずつ獲得していくことができる部分があるのだ。芸術家になりたいのなら、
      > 猿にオナニーを憶えさしたがごとく文体ばかり磨いていないで詩を創造してみたま
      > えよ、かす。

      先生、言ってることが180度変わることがあるのは存じていましたが
      同一記事内でそれが起こるとは・・・
      一回でも読み返してから投稿したほうがいいですよ


>ダーザイン   投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/04(木)01時10分12秒   ■   ★   ◆ 

       ハイデガーのその詩論はたぶん読んだことがないので、機会があったら読ん
      でみようと思う。あるいは、武田聡人も暇だろうから、抜粋か要約して書いて
      くれてもいい。

       さて、武田君の文章を拝見させてもらった。片方は前にも読んだことがある
      な。あいかわらず、糞のような文章だと思った。前にもアドヴァイスした筈だ
      が、小説における哲学的考察というのは、ハイデガーの糞のような受け売りを
      指し示すことではなく、そこに導入される状況を指し示すものである。ミラン・
      クンデラにとっては、そのような小説の手法は「考察の問い(問いの考察)」
      と呼ばれる。これは何も、思索的作家と称されることが多いクンデラに限った
      話ではなく、小説そのものの根本的な有り様でもある。武田君も読んだことの
      ある筈のヨーロッパの小説の多くが、ハイデガーの実存的テーマをすでに小説
      固有の方法で扱っていただろうことを、ここで確認しておきたい。

       若い学生が「存在論的小説」などを書こうとして陥る罠のひとつに、糞のよ
      うな受け売りを指し示しては、その受け売りの中においてのみ自己完結して、
      それ以上の考察が中断されてしまうというものがある。彼らは、小説や詩それ
      自体が考察の問いであり問いの考察であることを理解しておらぬため、たとえ
      ばハイデガーの舌足らずな考察を数行書いては、すでに個個のイメージが現代
      においては単なる憧憬以上の意味をもたない描写を百年後に確認することで悦
      に入り、そして鉤括弧の会話文などで「ソフィーの世界」でもここまで陳腐で
      はないだろうとツッコミたくなる存在論モドキを展開するパターンである。ね
      え、存在しているって何、あたしはほんとうにここにいるの、あたしはほんと
      うにここにあるの、そして彼女の目を見つめると虚無が映っていた……とくる。

       そして、それだけである。虚無を表現するのに「虚無」と書けばすまされる
      と思っているわけだ。そこにおける虚無とは、虚無ということばでしかない。
      読んでいるほうは何が書かれているのかさっぱりわからない。それも当然、書
      いている本人が虚無をただ漠然とした「虚無」としか考えていないからだ。幾
      多の作家が虚無の考察の問いを重ねてきたにもかかわらず、彼らはこのような
      非−小説的な文章中に登場する程度の意味しかもたない「虚無」というひとこ
      とで、そこで示される筈であった状況においての「虚無」を表現しようとする。
      これが、文体を蔑ろにする者の陥る浅はかさである。さらに愚かなのは、その
      「虚無」の状況がどこにあるのかというと、読者には見ることのできない彼の
      頭の中なのだ。だから彼らは虚無と書いただけで悦に入り、そこに虚無は「な
      い」と批判されると、「ある」と猛烈に主張してくるのである。

       武田君を巡る一連の騒動の根源は、ほかならぬ武田君の頭の中にあったのだ。

       武田君がドイツ詩を愛読していることは知っているし、好みの作家もだいた
      い見当がつく。私も中学生の頃は、よく古典詩に接したものだ。それゆえ、あ
      のトラークルが武田君より言語表現が未熟というのには納得できないところで
      ある。「路はみな黒い腐敗へとみちびいて尽き/金色の夜の枝組みと星とのも
      とで/英雄の霊たちに/血を流すその顔顔に会釈しようと/妹の影は沈黙の林
      をぬけてよろめいていく」と一節を抜き出しただけでも、トラークルの幻視に
      は感心するものだが、これが武田君の陳腐な言い回しによる貧相なイメージの
      羅列と何の関係があるんだろう。

       トラークルは第一次大戦の戦地にてまさに死の状況を見たが、武田君のポエ
      ムは被災地でいい気に突っ立っては、へたくそなアルト・サックスを吹いてい
      るだけじゃないか。「トラークルのイメージ」を被災地に見て、それで満足か。
      わずか27歳くらいで死んだトラークルのわずかな詩作品を読んで、その総数
      として語彙が少ないのだと開き直り、あの音楽的で色彩的なスタイルが生涯変
      わらなかったとくる。27歳で死んだんだからあたりまえだ、馬鹿。いやしく
      も文学などと言う人間が、文学史すらろくに学んだことがないのか? ああ、
      こう言うと何か教科書的に単純に受けとるだろうから補足するが、小説の歴史
      を知るということは作家の生年を暗記することではない、その歴史的意義と、
      その遺産を継承することである。


ん   投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/02(火)16時01分54秒   ■   ★ 

       オルフォイスに寄せるソネットの場合は、ギリシア神話のオルフォイスを
      生と死を孕む純粋な矛盾として捉えたわけだが、まあ似たようなテーマだ。


>    投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/02(火)17時33分19秒   ■   ★   ◆ 

      > つーか、問題は文体じゃない。
      > 俺にとって問題なのは存在の真理=非真理に至ろうとする現存在の立ち位置だ。

       ダーザインにとってスタイル=文体とは、たんに気分的で恣意的なことばの
      選択を意味するからな。彼にとって存在論的であると思えるもののみを至高と
      し、それ以外の芸術については一切の価値を認めない姿勢は、つまり意味解釈
      の体系を「掟」として押しつける悪い意味でのドイツ的なものであり、このよ
      うな輩がハイデガーをもちだすたびにナチスの臭いを嗅いでしまう。

       文体を蔑ろにするエセ詩人には、まともな小説はおろか、まともな文章も書
      けないことは周知のとおりである。彼の小説は、もちろんネットで発表するた
      めに書かれた遊戯的なものであり、その構成や内容というよりも、作者による
      自由奔放な描写の妙や、そこで語られるものやことの「状況」の創造じたいに、
      目的も意味もあるのだと思う。

       だが、それでいて、あれだけ陳腐で使い古された描写をくりかえしていると
      ころから、彼の文体に対する認識とはあのようなものであるとしか言いようが
      ない。たしか彼はどこかで「詩なんかてきとうに書いている」と語っていたな。
      つまり一連の投稿を見ていると、文体は問題ではない、言葉の選択は恣意的で、
      存在論的な構えを作者がとっていればそれすなわち文学であるということにし
      か思えないのである。

       彼にとって、文学とはイメージにすぎない。文学少女が図書館か木陰でリル
      ケの詩集を読んでいるイメージ、大酒を飲んでは豪快に若者を叱責するイメー
      ジ、無職でウツで貧乏であることが文学者らしい生きざまであるというイメー
      ジ、そういったイメージを彼は愛しているだけで、実際の作品は空虚なもので
      あり、生じるのはただの一行の具体的なリルケ論でもピカソ論でもなく、唐突
      に放たれる糞のような自作のポエム、ハイデガーの糞のような受け売り、掟、
      そして言語を破壊できぬ苛立ちからくるのか絶え間ない罵倒の数数である……。

       まあ、「文体」とはたんなる形式の違いや、恣意的な変化を指すのではなく、
      思想を形作るための手段でもあると言っておこうか。それにしても浅はかな文
      体論(論じゃないか)なことだ。やはり、詩人・ニーチェをまともに読んだこ
      とがないらしい。まあ、そんなことは最初からわかっていることだが。笑い。


>    投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/02(火)17時52分00秒   ■   ★   ◆ 

      > > 真に偉大な芸術はお前たち類人猿の脳とはリンクできないからな
      > リンクできなくても評価基準くらい用意できるだろ
      > 詩人も哲学者もまともな解説ができないなど聞いたこともない

       まあ、ネット議論の大半は、具体的な話になるとボロが出るから、
      愚にもつかないあげあしとりや言い争いに終始するわけだよ。笑い。
      たかがネットなんだから普通はそれでもいいのだろうが、文学者が
      そのような態度をとるのは、めずらしいケースではあると思う。
      ダーザインが文学者であるなどと言っているわけではなくてね。笑い
      まあ解説がめんどくさいということであれば、沈黙しているのが
      せめてもの礼儀だと思うが、匿名性を利用するからたちが悪いよな。


技巧の話を 1/2   投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/04(木)01時14分19秒   ■   ★   ◆ 

       さて、少し技巧の話をし出すと、文学とは上っ面の表現よりも作者の心意気
      がだいじである、といったような紋切り型の反発を招くものである。このへん
      が日本の文学界にとって最大の不幸だと思う。この齟齬について武田君とは前
      にも軽く話したことがあるのだが、どうやら忘れられてしまったようだ。グー
      グルのキャッシュを引用しておくから思いだしてほしい。

       まあ、何をいまさらと思うのだが、なぜこうも彼らとすれ違うのか、ちょっ
      と考えてみることにしよう。

       おそらく、文体というものを上っ面の「てにをは」程度のものとしか理解し
      ていない上に、これはちょっと乱暴な言い方にすぎるかもしれないが、そもそ
      も文体と内容が切り離せるものではないという当然の認識すらもっていないの
      だろうと思う。それゆえ彼らは稚拙な表現を好む。文体と内容が別物だと考え
      ているので、内容さえ(頭の中で考えていることさえ)良ければ、小学生の作
      文のように舌足らずに書いてもそれはすばらしいのだ。そのような文章はいっ
      たいどのような代物になるだろう?

       たとえば、日本語の50音をひとつずつ使えなくしてみよう。筒井康隆の
      「残像に口紅を」という実験小説の試みである――まず「た」が世界から消え
      る。すると、この掲示板の名称にもなっているハンドルの人の本名が世界から
      消えることになり、俺はそれを書くことはおろか、記憶を引き戻すことも、そ
      れを相手に教えることもできなくなってしまう――さらに「わ」が消える。俺
      は、食器を洗うときに使う、椰子で出来たあれを描写することができなくなっ
      てしまう。昨日、俺はトンカツを口に入れる。おいしいと思う。それは過去の
      ことなのですが、なぜか俺は今トンカツを口に入れているかのように、記憶を
      遡っている――次は「れ」が消える。僕の飲んでいる水から柑橘系の味がしな
      い……。

       以上は極端な試みで、書き終わってから読み返すとあまり関係ないような気
      もしてきたが、まあようするに言葉がなければ簡単には内容が伝えられないこ
      とは理解していただけたかと思う。

       私が言う技巧論は、何も私の専売特許でもなければ、一部の偏屈な主義者た
      ちの唱えるお題目でもない。読むことによって導きだされる解釈の「ひとつ」
      であり、それはまた書くことの中で必然的に意識せざるを得ない方法論のひと
      つである。何かを書こうとするとき、武田君や私の頭の中にある何かを描写す
      ることになるのだが、この状態が武田君のいう「イマジネイションとポエジー」
      の原初の形である。この時点ではまだ武田君は詩人である。さて、武田君は
      「この世のものとも思えぬ異様な花」といったことを描写したかったが、武田
      君にとっては文体と内容が別物であるから、そのときの気分によって文体も描
      写も単語の選択も変化しても差し支えないのだった。武田君は放屁した。臭い、
      これは臭えーっ、そうだこれだと思って「この世のものとも思えねえーっ、屁
      の如きに臭え花」と書いた。これはこれで面白いかもしれないが、それまでの
      存在論的状況の緊張はこの一言によってだいなしである。映画館で携帯電話の
      着信音が鳴り響くようなものだ。この時点で武田君は詩人ではなくなり、書か
      れたものからイマジネーションとポエジーとやらは霧散していく。

       武田君が言っていることもわからないではないし、というかそもそもお互い
      あたりまえのことを述べているにすぎないのだ。狂気の炎で身を焦がす、この
      狂気とは文学的狂気であり、武田君の選んだ表現の仕方である。現実的な狂気、
      一般に言われるところの精神病といったものとはあまり関係がない。作家が発
      狂したからといって、その作品に対して何か新たな価値がつけくわえられるも
      のだろうか? 付与されるのは夭折詩人への偏見にみちた神格的な伝説であっ
      て、それは彼の作品とは何の関係もない次元の話だ。ベッティーナが描いたゲ
      ーテの虚像によって、ゲーテは語られなくてはならないのか? ゲーテは偉大
      なドイツ詩人であった、このひとことで彼の詩はすべて評されたことになるの
      か? そうではない、たとえ実際に狂っていようが狂っていまいが、われわれ
      読者がトラークルに感じるのは彼の作品の中で描写された狂気であり、作品そ
      のものだ。

       私は、武田君のいう文学的狂気を仮に「ミューズ」と呼んでみよう。ミュー
      ズの裾に触れることなく、いったい何が書けるだろうと私は思う。では、ミュ
      ーズとは何か。詩神それ自体? いやいや、人間が詩神というものを創造した、
      その創造の源泉のことである。では、文学的狂気とは何か? すばらしい詩を
      書くための創造行為の状態である。では、創造とは何か? こうなると、手の
      つけようがない。その考察の問い、問いの考察じたいが問題となってくるので
      ある。だからわれわれは仮にそれを「ミューズ」などと呼び、決意の表明とし
      て口にする。だが、その表明が形骸化してゆき、文学とはミューズの裾に触れ
      ていなければならぬ、それ以外はまやかしであるといったお題目になってしま
      えば、そこにすでにミューズはいない。これがゲオルゲがクローンベルガーを
      神格化したような、ドイツ詩壇に見受けられる悪しき信仰である――意味解釈
      の体系を掟として押しつける態度のことである。

       そして今なお続く日本文学における悪しき信仰でもある。文学とは何か? 
      そんなことは当の文学に接していれば自ずとわかることである。しかしそれを
      理解できない者は、紋切り型のお題目を唱えないと安心できない。彼らにとっ
      て文学とは神のようなものである。正体がなく、曖昧であり、得体の知れない
      領域のものである。だから彼らはインチキ宗教の教祖の唱えるようなお題目に
      ひかれるのである。現にくどいほどくりかえされている私の文体論が、まった
      く内容を度外視したものであり、文学とは形式主義的な形式の妙にこそすべて
      の価値があり、それ以外は文学ではないと言っているかのように受けとられた
      ことが証左ではなかろうか。いったい、誰が先に内容を度外視したのだろう?
       またしても武田君である。どうやら、リルケすらろくに読んでいなかったよ
      うだ……。真の芸術家としてもちだしてくるくらいだから、ロダン論くらい当
      然読んでいるものと思って引いたのだが、何か、とても表面的に解釈されたよ
      うである。


2/2   投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/04(木)01時15分14秒   ■   ★   ◆ 

       『芸術とは「観察」と「職人的な仕事」との累積から生まれる』

       この、彼も評価するところの芸術家によるありがたい教えが、ようするに、

       『芸術とは、ミューズも狂気も実存的テーマも抜きにして、内容はどうでも
      よく、見てはいるが何も考えずに表面的な意味しか取らない結局何も見ていな
      いという意味での「観察」と、言葉を紡ぐ際に慎重に砂金を拾うかの如き丁寧
      さでそれでいて情熱的でもあり何より芸術を愛しミューズを賛美し何らかのテ
      ーマについて狂気的にのめりこむような職人的な仕事という意味ではまったく
      なくてまるで愛知の自動車工場で俺がこれからすることになるだろう「職人的
      な仕事」との累積から生まれるものであって、それ以外は芸術ではないし、そ
      もそもイマジネーションやポエジーは完全に不要であって、それがあるという
      前提で技術的な側面の話をしているのですよと会話したことが一度もなく、あ
      るいは忘れているか意図的に度外視していて、心のない人間のような無味乾燥
      な悪い意味での形式主義的形式というかテニヲハ程度の日本語能力とCGI自動
      出力的な「文体」ようするに小学校の国語レベルの話の文体だけが誰が何と言
      おうと絶対的真理であってそれこそが真空に触れているのである』

       と、変化したわけである。しかも、

       『「文体」とはたんなる形式の違いや、恣意的な変化を指すのではなく、思
      想を形作るための手段でもある』

       次の書込でこう書いていた筈なので、なぜにあのように程度の低い言いがか
      りをつけられるのか、これはほんとうに理解に苦しむところである。また、私
      程度の知識で評論家と称されるのは恐縮する限りなのだが、武田君にはよく
      「評論家」という形容をされる。どうも悪い意味で言っているらしい。つまり、
      文学と無縁な者が文学に対して「難解」「つまらない」「わからない」と素直
      に述べるのと同じで、批評や評論に対して「(自分の乏しい知識にとっては非
      常に)難解」「(自分の得意な分野ではない上に、話についていけないので)
      つまらない」「(自分の乏しい知識では)わからない」ということなのだろう
      と思う。すなわち、あれだけ大言壮語しておきながら、批評や評論すらろくに
      学んでいないようなのである。はて、ハイデガーを読んでおきながら、いった
      いそのほかには何を読んでいるというのだろう?

       「いやいや、自分のポエムにケチをつけられた上に、小難しい議論で俺を言
      い負かそうとしているから、まるで評論家みたいな攻撃力だなと思ったまでで
      すよ、ポエジーあった上での表現ですよね、そうっすよね、陳腐なPHP的文学
      入門書ですらおなじみの話じゃないですか、それくらい学生の頃にさんざんや
      ってますよ、ロシア・フォルマリズムとかね、あんなの今さらね、青臭い学生
      じゃあるまいし、ね、宇多田さんの言うこともわかりますよ、俺は語彙も文体
      も少ないし、空白で書いてもばれるし、なぜかソーシャルまでされるし、自分
      に文才がないことは俺だってわかっているし、職もないし、金もないし、女も
      いないし、ネットですらこうしていじめられるし、俺にはもうこれしかないん
      ですよ、この文学的狂気とでもいいましょうか、これに賭けるしかないんです
      よ、これなら自分の糞みたいな文章や、糞みたいな人生と違って、まだ可能性
      がありますし、宝くじみたいなもんですよね、自分はすごいのかもしれない、
      それだけを頼みに生きているんです、だからちょっとでも心意気と関係のない、
      自分にとって決定的に不足していることを声高に論じられると、過剰反応しち
      ゃうんです、ほんとうは俺だってわかっているんです、だから、もういじめな
      いでください、知に対して(あ、インフェリオリティってつけるの忘れただけ
      ですからね、だいいち劣等感っていう意味は伝わっているからいいですよね、
      ええ、もちろんそれくらい知っていますって)コンプレックスがあるんです、
      だから評論家なんて言っちゃった、俺だって最初はREMIXで哲学者と評論家を
      衒っていたけど、糞みたいに難解なことしか言わない某Jはいるわ、何言って
      も言い返してくるあんたはいるわ、だいいち誰も俺の言うこと褒めてくれない
      し、頑固なドテラ作家という仮面がないと自殺しちゃうかもしれません、俺は
      ただのポエムが好きなオッサンなんですよ、鬱病だから自殺しちゃいますよ、
      ルサンチマンっすよ宇多田さん、ああまたいやなこと思いだした、もういじめ
      ないで、いじめないで」

       ということであれば、べつに私も武田君を言い負かそうとか、プックスとかオ
      タク臭いネット言葉を使って内容のない書込で中傷をしようとか、まったくそ
      ういうふうには思っていないのであるし、文学の話ができてむしろ喜ばしいの
      であって、この大いなる齟齬を和解してやってもいいから、ちゃんと文学者ら
      しく堂堂とハンドルを「ダーザイン」と入れて上の括弧の文章を投稿した上で、
      土下座の顔文字を作ってきたまえ。

       余興はこのへんにして、改めて言っておくが、武田君の糞のような文章とリ
      ルケらを同列に置くのはやめたまえ。話にならん。武田君の糞のようなポエム
      は、まさに糞としか評しようがないが、こちらはリルケらの詩は昔から愛読し
      ているのである。よく言っておく、俺が武田君の糞のようなポエムを馬鹿にし
      ているからといって、リルケらを否定しているわけではまったくないことを、
      確認してくれ。武田君のポエムはそれらの作品とは何の関係もない。また、武
      田君のポエムを批判するからといって、それすなわち文学に対する批判である
      と妄想を抱くのはやめてくれ。妄想はポエムのためにとっておきたまえ。

       糞の詰まった便器にリルケ詩集と武田君の自費出版詩集を放りこんで「あな
      たの落とした本はリルケですか。それともダーザインですか」なんて冗談はも
      うたくさんなのだ。笑い。


>    投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/04(木)01時27分33秒   ■   ★   ◆ 

       えーと、ダーザインへのレスとかぶることだから簡単に。
       つーか、俺が引いたロダンとリルケの、芸術とは観察と職人的な仕事との累
      積から生まれるという言葉を、ダーザイン・フィルターを通しているから、な
      んか勘違いしているんじゃないか。

      芸術とは観察と職人的な仕事との累積から生まれるのである
                       ~~~~
       が、

      観察と職人的な仕事との累積から生まれるものが芸術である
                         ~~~~~~
       こうなって、さらに、

      観察と職人的な仕事との累積が芸術である
                 ~~~~~~
       しかも、

      観察と職人的な仕事が芸術である
               ~~
       あげくのはてに

      観察と職人的な仕事こそが(のみが)芸術である
               ~~~~~~
       こんなふうに勝手に文章を組み換えられて、「俺の書いていること」がいた
      だけないとか言われても、これはもう俺にはお手上げだよ。笑い。累積「から」
      生まれるというのは、そのまま文意を汲み取ればわかることだよね。この累積
      こそが君が言う(重要な)基盤のことでもあり、同時に、それ以上のことでも
      ある。

       君は文体ということも、たんなる敬語の間違いとかいうレベルでしか理解し
      てくれていない。それは文体とか文章上の技巧の問題じゃなくて、国語のテス
      トの話だろう。それが安吾がいう「文学者ではなく文章家」の陳腐な考えって
      やつだ。セザンヌがゴッホよりも技法的に「すぐれている」と比べるとき、そ
      こでの優劣は内容から離れたところにある描写のうまさであり、それこそ内容
      のない、一本のまっすぐな線を引かせて、どちらがより長くよりまっすぐに描
      けるか? と、勝負をさせるようなものだ。セザンヌもゴッホも各各の固有の
      方法論によって、それぞれセザンヌ的なもの、ゴッホ的なものを描いたわけで、
      そのように比較して価値判断すること自体が馬鹿げている。そこでの比較は女
      子と男子の混合長距離競争のようなものだ。

       だからといって、内容と関係ないところの技巧や、川端なんかがいう美しい
      日本語の私の美文の価値それ自体が、損なわれるわけではない。長い回文のよ
      うなトリックを見たらわれわれは凄いと思うではないか。なぜ、そういった特
      質は認められないのだろう? なぜ、まったくのノーとして拒絶されなければ
      ならないのか? 「文学」この厄介な二文字に囚われているからであるといっ
      たことを、安吾も書いている。それゆえ彼は「精神」に観点を置こうという。


       ……と、ここまで書いたところで、話せばわかるだろうと思える若いやつで
      はなく、武田君だと気づいたんで中断。また改めて。笑い。


>宇多田レイパー   投稿者:    投稿日:2001/10/04(木)03時27分29秒   ■   ★   ◆ 

       何か混同されているようなのだけれど、当方ダザインではありません。ぼくは
      ぼくの個人的意見を述べるに過ぎないことを先ず前置きしておきます。

       べつにぼくは「文体」を軽視しているわけではありません。「こそが」という
      のは言葉のあやなので見逃してやってください。ヽ(*´Д`)ノ
       ぼくは「一本のまっすぐな線を引かせて、どちらがより長くよりまっすぐに描
      けるか」ゴッホとセザンヌが勝負したときセザンヌが勝つだろうが、しかしそん
      な勝負に意味などないのだと主張したのです。故にこのふたりが「固有の方法論」
      を所持していることに異存はないし、それこそがぼくの言いたかったことなのだ
      けれど、問題は「果たしてその方法論は何処から来るのか」と言うことです。
       確かに回文は凄いものだけれど、でもその回文を作ろうとする意思は果たして
      どのようにして生まれるのでしょうか? 文体を選び取るものとはどのようにし
      て研鑚されるものなのでしょうか。文体はそう言った主体/意思に躰を与える母
      胎として機能するのではないかとぼくは考えているのです。つまり前提として意
      思があり、それを文体が支えると言ったような構図だと思うのです。前回の書き
      込みの肝はここで、出来ればそこら辺りの解説をして欲しいと思います。
       また因みにダザインの作品を批判したときに貴殿が行った批判はまさに「一本の
      まっすぐな線を引かせて、どちらがより長くよりまっすぐに描けるか」勝負させ
      るようなものだと思ったのだけれど、それとはまた異なるのでしょうか? それ
      にかんする解説もお願いしたい。


>    投稿者:    投稿日:2001/10/04(木)04時05分19秒   ■   ★   ◆ 

      > つーか文章にかんする議論の癖に文章が拙くて申し訳ない

      横レスですまんが、ここはダーザインという個人を読み取り、彼から反論があれ
      ばそれを受けてさらに明晰判明にしようとする明確な意図をもって設置された板
      と思うんだ。つまり詩とは何かを各々空白諸氏も含めて語り合い有意味な、ある
      いは語るを目的として満足を得ようとする主旨ではないってことで、君の言う議
      論とやらが行われる場ではないってこと。もし君がダーザインを大好きで援護し
      たい、あるいは宇多田レイパーの言うことは決定的におかしいということをこの
      場で述べたいというのならばせめて投稿者名を入れ、以前に居たなんとかと違い
      書き捨て覚悟で投稿するのが本筋であり誠実な態度ではないかな。そして君がそ
      のような目的をもたずただ単に詩とは何か、文学とは何か、芸術とは何かに対す
      る闊達な議論を求めるというのならばここでやらずにRemixなり別に板を立てる
      なりと他所に移ってやるべきではないだろうか。そもそもここが作られる発端と
      なったのが@哲学におけるダーザインの、他人や方法論を顧慮しないな自己主張
      であることを思えば謙虚になってなりすぎることはないと思のだが如何だろう?


>    投稿者:    投稿日:2001/10/04(木)04時17分39秒   ■   ★   ◆ 

      ええと、ダーザインにレスつけた俺にレスつけた君にまたレスをしたら
      君からレスがついた俺だけど、ああ面倒くせえまあわかるだろ俺な、俺空白。
      結局の所まずはじめに「文体」という言葉が指し示す内容について君と俺の
      間で認識にずれがあったのが原因だと思う。つまり「文体」は芸術そのもの
      と不可分と考えるのが俺で、そういった表現上の技術はあくまで道具であり
      本質は主体にあり、磨くべきものは文体ではなく文体を作り出す側の主体と
      考えるのが君だと言うことでいいだろうか?
      さて、この行き違いが原因だと仮定して考えて見ると、実は俺と君は同じ事
      を言っている。つまり文体は皮袋、文体をつくりあげる主体がぶどう酒という
      事についてはお互いに同意していて、俺は皮袋がなければぶどう酒を汲み出せ
      ませんよと言ったところ、君はぶどう酒の重要性を忘れるな、うまいぶどう酒とは
      きれいな袋に入ったぶどう酒のことではない、と返した。両方が必要であり
      より重要なのは中味、ぶどう酒の方だという事にはまったく争いがないんだよ。

      そこで思い出してもらいたいんだが、そもそも俺は、ダーザインが元記事でレイパーが
      示した「芸術の職人芸的側面というもの」を「職人」を文章ライン工的な意味に
      読み替えることで捏造し、それをレイパーの愚かさだと暴露するという恐ろしい
      行為を目の当たりにして「ここで第二人格に交代?」というレスをつけた。
      (故意だとしたら悪質にも程がある、故意でなければ人格交代でも起こったと
      しか思えないよ)という意味で。
      長々と書いたが結論を言うと、君の言っている事は正しいと思うがダーザインの
      元記事の読み方は間違っていたってことだと思うんだけどどうかなあ。


  投稿者:宇多田レイパー   投稿日:2001/10/04(木)04時39分33秒   ■   ★ 

       えーと、04時17分39秒 の投稿が出た時点で、特にもう俺がレスすることは
      ないよね。同じことの確認になるんで……。

       武田君がこんなところで質問していたよ。笑い。
      http://travel.teglet.co.jp/scripts/life/show2.asp?id=494&YY=2001&MM=9


  投稿者:    投稿日:2001/10/04(木)14時00分13秒   ■   ★ 

      武田さんちの聡人くん 前からかなりヘンよ どうしたのかナ

      荒らし自作自演はやめなさいと言っても

      誠実に受け答えしなさいと言っても

      いつも答えは同じ

      「存在論的差異のわからないものにこれ以上何を言えと言うのかね?」

      「お前レイパーだな、今日のレイパーもくだらないな!」

      「低脳は死ね!ルサンチマン!屑!かす!」

      「酩酊してきたので寝る、おさしみ!」

      「抱っこしちくり!ンムハァ」

      「ヽ(;`Д´)ノプフィ」

      困っちゃうナ


 投稿者:    投稿日:2001/10/05(金)00時55分40秒   ■   ★ 

                Λ  Λ
      ハッハーン、つまらんなヽ(;`Д´)ノプフィ 
      世界の中心にあった巨大な壁がなくなり、己を映し出す鏡を失った現在、 
      自己拡散し虚無に触れる恐怖と向き合うことを余儀なくされた人類にとって、 
      万人の万人に対する闘争の混沌から自己を再組織するためには、 
      核による世界戦争の幻影こそが最大の安らぎにして、
      且つ、新しい人類の夜明けを予感させるものである。 
      そもそも意識とは分裂であり、
      存在論的差異、存在論的放擲がアプリオリな事態である以上、 
      分裂を超克し、存在の全体性を回復せんする根源的欲求に突き動かされるのは 
      必然にして人類進化の正当な道筋である。 
      存在に聴従せよ! 
      無 が 触 れ て く る の が 解 る か ? 
      存在の光り輝く無のおもてとまみえる僥倖に与るのだ! 
      約束の時は来たり! 
      核分裂によりすべての存在者を一個の全体へと回帰させるのだ!


>    投稿者:もう来ないはずの人   投稿日:2001/10/06(土)01時38分04秒   ■   ★   ◆ 

      あんた言っていることが10年前のレベルだよ。
      つーか自己認識が鏡像段階にとどまってるってのは
      別に社会がどうだろうとラカン的には人生不変の
      事実であって、まあ、その鏡像段階から逃れようと
      するからこそ、仏教的解脱だとかそういうことも
      あるわけだけど、それでも語ってしまった時点で
      その語り自体が鏡像の自己言及の無限回廊に飲まれて
      いくわけよね。だったら、沈黙すればぁ? 笑い。

      某Jにもう言われたけど、世界を支えるシンボリックなもの
      が実のところイマジネール(存在の全体性を回復せんする
      根源的欲求)だ、ってのはもはや高度資本主義消費社会に
      絡め取られた手垢の付きまくった論法で、それを今更言うことに
      何の意義があるのさ。笑い。

      そんなに核分裂が好きなら、東海村にでも行って
      走召 糸色 木亥 日暴
      でもしてればぁ? 笑い。

      てか、ここでレスすることに意味はあるんだろうか。


>もう来ないはずの人   投稿者:    投稿日:2001/10/07(日)02時44分39秒   ■   ★   ◆ 

      違うよ!
      先生は芸術家(但し一般的な意味ではなく先生専用の用語)
      だから10年前も20年前も30年前もずっと同じ事をしているし
      同じ事しか言っていないばかりかいえないんだよ!

      だから君の言っていることは全く先生へのレスになっていないんだよ!


 投稿者:    投稿日:2001/10/05(金)02時41分17秒   ■   ★ 

        Λ  Λ
      ヽ(;`Д´)ノプフィ 
      さて、戦争とは何か?国家の自己確認である。 
      よって戦争を廃棄するには国家からの人民の開放が必須となろう。 
      ではアナ―キズムのもとでは戦争は起こりえないのか? 
      遺憾ながら3人寄れば党派ができる。 
      国家を解体したとて万人の万人に対する闘争の状態に戻るだけだ。 
      怠落した者どもが核分裂による存在の全体性の回復を拒み、 
      平和だの民主主義だのといった世の終わりのあとの平板な世界、 
      歴史の外で漫然と生きることを欲するのであれば、 
      我々前衛は、この怠落した共同体を死の恐怖で包囲し鞭打つことにより 
      絶対的な外部として現前する無を呼び招かねばなるまい。 
      さあ立ち上がれ同士諸君!武器を取り、暗黒舞踏を舞い、 
      狂気の青い炎で世界を焼くのだ! 
      存在論的聖戦の戦士たるべし。 わらい


  投稿者:    投稿日:2001/10/08(月)01時06分20秒   ■   ★ 

      ('-'*)「ねえ、今度入ってきた武田さんって人、何か気持ち悪くない?」
      (*'-')「やっぱりそう思った?話しかけても、まともに答えが返ってきたこと
          ないよね。」
      ('-'*)「そうそう。この前もね、歓迎会しますけど何か希望ありますか、って
          訊いてるのに、詩は好きですか、とか言ってきてもう超わけわかんない」
      (*'-')「げー。何であんな人採用したんだろー。」
      ('-'*)「きっとすぐ辞めるよ。っていうか辞めるように祈る!(笑」

      と言うようなうわさ話をされないように、せめて人の話くらいは聞きましょう。


>    投稿者:    投稿日:2001/10/08(月)03時44分15秒   ■   ★   ◆ 

      > > 馬鹿の一つ覚えでルサンチマンルサンチマン言うのは無様だからやめましょうよ(;´Д`)
      > 石井君ルサンチマンの意味がわからないからってうざ過ぎますよ(;´Д`)

      恐らくここにいて、ザーメン先生がまともにルサンチマンを
      理解していると考えている人間はいないと考えられるから
      この投稿はダーザインの投稿だろうな。
      惨めにならないか?
      悪いことは言わんから、幼稚な罵倒合戦はやめておけよ。
      まともな投稿になら付き合ってやろうと言う香具師もいるだろうが
      これでは余りだ。
      ルサンチマンの意味や歴史的経緯も知らずに使っているのは
      ここではダーザインだけだ。

      例によって短文なのは自らがダーザインであると
      見られたくないためかな?


>    投稿者:    投稿日:2001/10/08(月)04時24分42秒   ■   ★   ◆ 

      > > そういうのが程度が低いと言っている
      > 他所の板に無関係な一行レス、詩の貼り付け
      > 荒らしトピックの乱立、これを荒らし以外のなんと言うよ?
      > ダーザインの荒らし行為が無い時期、ここには殆ど書き込みが無い。
      > 単にダーザインの荒らし行為が糾弾されているだけだろう。
      > 当然島などでレイパーレイパー喚いていたこともそれだ。

      ならそういうふうに非難するといい
      石井・武田を連呼しあって
      それの何処らへんが建設的か

      つか@哲学のときの詩の貼り付けの意図はいつだったかここで書いていたと思うが、
      彼なりの立場からの「無」へのアプローチの実践と言うことだったよな
      その彼の立場とそれ意外のものの立場との間の差異を彼は存在論的差異と呼び、
      その差異を理解できずに非難を繰り返すものを「屑空白」とヤシは罵倒していた
      荒しにかんしてはともかく、詩の件にかんしてはこれを前提とした批判と言えるのか


>    投稿者:    投稿日:2001/10/08(月)04時51分49秒   ■   ★   ◆ 

      > > いや、これはここで彼が語っていたことだし、
      > > 議論の延長線上に、詩と言う芸術のスタイルを通じて己は
      > > 「無」へと繋がり得ると言う思想を主張することはそれほど異常なものだろうか
      > その無に関してまともに答えられなかったのはダーザインだろう?
      > それなしにその主張は何の意味ももたない。
      > 詩以外によって、詩による投稿を正当化できなくては
      > あそこに投稿する意味はないだろう。
      > ただ、そこからやり直すのなら誰も文句は言わない筈だ。

      まあ確かに漏れは当初から意図は理解できたけれど、
      直ぐに説明を為し得ない姿勢には少々どうかと思ったので怒りは解る
      だが、その後に幾度か彼は意図を語っていた
      それを除外しても、こんなふうなことを
      延々と繰り返して果たし得意味があるのかどうか最近では甚だ疑問に思う
      殆どが罵倒合戦で
      そうだが当初の目的を見失って、
      ただダーザインを叩くという手段が目的化していく様は見るに耐えない


 投稿者:   投稿日:2002/05/05(日)02時08分56秒  ■  ★ 

      詩吟は終わりました。
      大先生は島民たちにぐるっと取り巻かれて、スツールに坐っています。
      島民たちはみな笑みを浮かべて、拍手をしていました。
      「さあ、もう一度聞かせてもらいたいな。」と、一人の空白がいいました。
      大先生は立ち上がってお辞儀をしました。「うれしがらせるじゃないか、空白君。
      だけど、もう一度繰り返すと、うんざりするんじゃないかね。」
      「あんたはちっともうんざりしないだろう。」島民たちは笑いながら答えました。
      「自分でも知ってるだろうに。あんたは自分の詩を読んで聞かすのにあきたためしが
      ないではないか。だけど、じつのところ、一回聞いたくらいじゃ、あんたのいってた
      質問には答えられないよ!」
      「なんだと!」と大先生が叫びました。



     ウオッチング その1 その2 その3 その4 その5 その6
     その7 その8 その9 その11 その12 その13 その14 その15
     その16 語録集 その1 その2 その3 その4 その5 その6


Remix からの転載をまとめたものです。


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